博多駅早朝清掃

  • 期間 1993年(平成5)12月8日~ 323回(2020年10月8日時点)
  • 場所 JR博多駅前
  • 人数 毎回100人程度

日本で最初の街頭清掃である。毎月8日、27年間続けてきた。国民教育の師父、森信三先生の高弟帆足行敏先生が始めた。その1か月前の11月8日「第1回掃除に学ぶ会」が岐阜県大正村で開催されたことは偶然だった。博多駅で始まった街頭清掃は、その後東京や京都など各地に伝わり、海外にも広がっている。

ゴミはその国の文化の象徴

昭和53、54年ころ、森信三先生が福岡を訪れたときのこと。森先生と帆足先生らは夕食後、顔はやや赤み、にこにこ上機嫌であった。那珂川辺を散歩していると、森先生は皆から少し離れたところで散らかっている紙屑を素手で拾い始めた。「偉い先生がゴミ拾い?」 同伴の4名は仕方なく従った。見渡す限りゴミは続いている。恐る恐る「先生、キリがありませんが」と申し上げると、「もうこれくらいでいいでしょう」、ポンポンと手を叩きながら、「紙屑(ゴミ)はその国の文化の象徴ですからね」と。帆足先生には「紙屑は博多の街の文化の象徴ですからね」と聞こえて、大変恥ずかしかった。森先生は、あらゆる場所・機会に、実践を通して多くのことを教えて下さった。

博多駅早朝清掃の開始

1993年(平成5)、福岡市は2年後のユニバーシアード開催地と決まり、力を入れていた。しかし、帆足先生には「国際都市福岡」は掛け声にしか聞こえなかった。福岡市をキレイな世界に誇れる街にしたい。何ができるだろうか。博多駅は外国の人も多く集まる福岡の玄関。「掃除をして博多駅を日本一きれいにしよう!」 10名の仲間と思い立ち、以下のように決めた。

第1回は平成5年12月8日6時30分開始…毎月八日、曜日・祭日・晴雨に関係なく実施…掃除道具、ゴミ処理、駐車場などは㈱八仙閣で準備…自身清浄が目的…参加、不参加は自由…継続を原則とする。

毎月八日を選んだのは、八の字は末広がりで縁起が良い。月1回と決めたのは継続したいという願い。12月8日は開戦日、「ゴミ戦争に勝とう!」という意気込みだった。

帆足先生が大切にしたこと

釈尊の「掃除の功徳」の教え。

「自身清浄」自分の心が清められる。「他心清浄」人の心も清められる。「諸天歓喜」諸界のものがいきいきと生きてくる。「端正の業を植える」すっきりと美しい行為の種が蒔かれる。「命終の後、まさに天上に生ずべけん」

掃除をすることで、私たちは汚れを引き受けていく。その結果、自分の気持ちが変わる。自分が姿勢を正し、その広場を作ることによって、周りの人たちが心地良い思いをする。そしてその場を本来の場に取り戻す。その本来の姿が、次を生み、新しい発展を遂げていく。

帆足先生から冨吉さんに

2007年(平成19)冨吉袈裟右衛門さんが、帆足先生の読書会に参加した。帆足先生は「来月の8日に博多駅でお掃除をするから出てらっしゃい」と伝えた。2、3年で掃除から去る人が多い中、冨吉さんは毎月休まず参加した。帆足先生は、2011年(平成23)冨吉さんを代表世話人にした。

冨吉さんの話

帆足先生は、森先生から学んだことを教えて下さいました。「森先生の掃除などの話を、学校教育とは無関係のように聞いていたが、自分が校長になると、このようなことこそ極めて大切な学校経営の一つであることが分かった」 「これを現役の時に気づきたかった。現役の時にできなかった償いだ」、そして『掃除は教育の延長』と仰っていました。

また、『血と師と逆境』という言葉を教えて下さいました。初めは意味が分かりませんでしたが、10年経って分かりました。お掃除、トイレ磨き、ハガキ、読書など、いろんな事を教えていただきました。

僕の役割は、帆足先生のやってこられたことを続け、それを伝えることだと思っています。私は代表世話人ですが、でも本当の代表世話人は帆足行敏ただ一人です。今は天の上から見ています。ごまかしがききません。そういう思いで博多駅の掃除を続けています。

運営の工夫

掃除道具の管理やゴミ処理は、当初八仙閣が行っていたが、2011年(平成23)冨吉さんが引き継いだ。トング(小)100本、(大)30本、庭園箒30本、ちり取り10個、グレーチング清掃セットなどを、前日軽トラに積込み、8日の5時40分頃搬入して設営、終了後の水洗い、天日干し、保管を行う。ゴミは、役所との長い交渉の末博多区環境課に引き取ってもらっている。回収量は、90㍑袋で可燃2~3袋、空缶など1~2袋と、以前よりかなり減った。街がキレイになった証だ。

人集めは基本的には行わない。毎月8日に例外なく続けた結果、100人前後の参加者が集まるようになった。これらの活動記録は、冨吉さんのリーフ『再生』に毎月記載、発行している。

帆足先生は自慢話のように「お掃除の参加者がケガ一つしたことはない」と仰っていたという。冬の博多の朝6時30分は真っ暗だ。安全のために、福岡市のボランティア保険を知ったが、任意団体には加入資格がない。NPO法人を設立して平成20年12月に入会し、参加者がその記帳のために列を作るスタイルができた。

清掃に参加する人々

出勤前の会社員や登校前の生徒が大勢いる。掃除の終わりは自由のため、「掃除してから出勤します」も特徴の一つだ。

二十数年前帆足先生の友人が精華女子高校校長に就任した。清掃を通した教育に力を入れていた帆足先生の助言により、掃除が教育に取り入れられ、生徒会を中心に博多駅早朝清掃に参加するようになった。その後ボランティア活動部も出来、誘い合って参加するようになった。

福岡大学の学生や福岡東高校の生徒も参加した。その中で精華女子高生は、毎月数十人が参加している。8日が休日にあたる月に、私服で参加する生徒もいる。

精華女子高生の感想

  • ボランティアに参加している喜びを感じる。街がもっともっとキレイになっていけばと思う。
  • ゴミを拾っていて通行人の方から挨拶を頂き大変嬉しい。
  • 入学以来、ずっと参加しています。早朝の爽やかな空気の中で行う掃除はとてもやり甲斐があります。今では早起きも苦ではなくなりました。
  • この清掃に参加して、私たちの生活を陰で支えて下さっている多くの方々に感謝する気持ちが芽生えました。また気持ちの余裕ができ、人に優しく接することができるようになりました。

中野幹子博多駅長

2019年(平成31)4月、JR九州博多駅に、博多駅初の女性駅長中野幹子氏が就任した。中野駅長も、マイ箒片手に参加する。

「前任はホテルで、現場経験のない私に出来ることとして考えたのが掃除でした。毎日約45万人の乗降客をお迎えするために、着任翌日の朝7時45分から、駅のホームなどを掃除しています。『福岡掃除に学ぶ会』様には、26年間博多駅の清掃をして下さって、心から感謝しております」。

(取材 菅原伸吾)