駅前ひとり掃除は
人生百年時代のライフワーク

大阪府 山本 健治

2020年(令和2)8月10日午前7時半、新大阪駅東口を降りると、既に気温は30度を超えていた。蝉しぐれの中、ゴミ拾いをする男性がいた。山本健治、通称ヤマケンさん、76歳。ここでの清掃は26年目の夏となるそうだ。

新大阪駅東側は事務所ビル、研修施設、ホテル、マンションなどが立ち並ぶビル街。掃除場所は東口広場と高架下をくぐった北側の駅前ロータリーだ。顔なじみと声をかわしながら、掃除は進む。道具はホウキ1本、塵取りひとつ。空き缶・ペットボトルとゴミで、45㍑の袋二つが一杯になる。事務所のマンションのゴミ集積場にゴミを整理して掃除が終わった。約1時間半、駅構内の喫茶店で話を聞いた。

今日はやり遂げたと思えるか、やね。落葉が少し残っていても、やったと思える日もあれば、全部きれいにできたと思っていても、すっきりせんときもある。掃除って、おもしろいもんや。やっぱり、最後は心やな。

心みがきは、いつでも、どこでも

最近、「掃除に学ぶ会」のみんなは、学校で掃除ができなくなって、休んでいる所があるらしいけど、駅前の一人掃除は、JRや大阪市の許可を得ているわけでもない無許可やけど、「三密」でもなければ、「不要不急のお出かけ」でもないから、勝手にやらせてもらっている。「ぼくの心みがきで、しばらく駅前をお借りします。すみません」という感じやね。

学校でのトイレ清掃でなければ、心みがきができないわけやないから、やれるところでやったらいいやないか。鍵山相談役も、初めは一人で借りてはったガレージの掃除から始めはったんやないか。

「雷は黙、黙は雷」

また、心みがきは禅寺のような静寂な所でしかできないと思ったら大間違いや、雑踏の中でもできると教えてくれた人がいる。

いくら静寂な沈黙の世界にいても、雑念があると、心の中では雷が鳴っているようなもの。だけど、雑念を払って集中していると、雷が鳴っていても沈黙の世界。「雷は黙、黙は雷」(らいはもく、もくはらい)ではないか、と。駅前掃除は、まさに雑踏の中。集中していると、何も気にならない。

「掃除に学ぶ会」の原点は「に」

最近気になっているのは、自分たちの心みがきでやらせてもらっているはずなのに、いつの間にかこの学校はきれいになったとか、子どもたちが行儀よくなったとか、上から目線で評価するようになっていることや。いつからそんな会になったんや。学校や子どもたちのためにやっていると傲慢になっているんやないか。

学校のトイレを借り、心みがきさせてもらっているんやから、「掃除に学ぶ」の「に」の意味を忘れてはいけないと思う。「掃除を教える会」になったり、「マニュアルどおりに掃除をする会、させる会」になっているんやないか。

ゴミを見て、自分を省みる

それから、「掃除は心みがきの近道」と言っている人がいたんだけど、心みがきに近道はないよ。人生、近道したらあかんで。

自分がいつ、どこにいても、目の前のゴミや汚れを見て、それは自分の心のゴミや汚れだと思って、すぐに拾い、きれいにすることができるようになりたいね。

この広場でも、1時間2時間掃除して、きれいにできたと思って、もとにもどってみると、タバコの吸い殻が、また何個もころがっている。悲しいけどね。だけど、駅前がどれだけきれいになったかより、ゴミや汚れを見て、どれだけ自分が動くようになったかが問題なのではないか。

日常風景になったと言われて

大阪駅の北側で2~3年やっていたけど、本格的に掃除を始めたのは、新大阪駅東口。1995年からやから26年目。月曜から金曜は午前7時20分頃から、短くても1時間、落葉などが多いときは2時間を超えることもある。土・日は時間はばらばら。

ある人が言ってくれた。「タクシー運転手もビル清掃の人も、何人も世代交代したけど、あんただけは変わらん。あんたの掃除は日常風景になっている。あんたが掃除してないと、気になる。風景になった」と。 ありがたいことである。

西田天香さんと母の教え

ぼくの掃除は、母の教えから始まった。母は大正3年滋賀県高島市の農村に生まれ、両親が亡くなったことから、昭和恐慌の頃、小学校卒業と同時に京都に髪結い奉公に出た。そこで木屋町などで掃除をされていた一燈園の西田天香さんを知り、心を動かされ、口ぐせのように「便所掃除をさせてもらうと心みがきができる。便所掃除はお金を払ってでもさせてもらいなさい」と、言って聞かせたんや。

当時、一家は大阪・守口の狭い長屋に住んでいたが、便所と玄関、向こう三軒両隣の道路の掃除は、小学生のぼくの仕事や。振り返ると、「いわゆるいい子で、ほめられるのが嬉しかったんやな。それでがんばって掃除してた」んやけど、母が若くして亡くなり、ぼくは大学に進み、いろいろ勉強したのに、肝心の掃除のことを忘れてしまってたんや。

鍵山さんの話が心に沁みた

卒業後、民間企業を経て、高槻市で市議を2期、その後大阪府議となり、2期目に落選。そのころ、日本中がバブルで舞い上がっていた。マネーゲームをうまくやれば、いくらでも稼げた。しかし、ぼくはそういうことに違和感を持っていた。本格的に文筆業を始めたそのころ、当時(株)ローヤル社長だった鍵山秀三郎氏の掃除の話を東京で聞いた。心に沁みた。忘れていた母の教えを思い出した。大阪に帰った翌朝から一人掃除を始めたんや。

掃除を始めた頃のぼくは「ええかっこしい」の掃除やったんやな。他の人から見ると、いかにも掃除してますというイヤらしさがあったんや。高架下のホームレスのじいさんや、重度障害者の男性との出会いが、ぼくの掃除を自然体にしてくれたんや。

オレがこの駅前をきれいにしてやってやるんだなどと意気がってやるとイヤらしい。自然な気持ちで掃除して、心みがきになればいい。結果、みんなが喜んでくれるかもしれない。それでいい。

70歳になったとき、旭日章綬章の話があったが、お断りした。褒めてもらおうと思って、府議や市議をつとめさせてもらったわけではないし、駅前清掃をさせてもらっているわけではないからね。

掃除に学んだこと

「落ち葉がたくさん落ちてキリがないね。たいへんやね」と、よく声をかけられたりする。

だけど、掃除を始めてわかったことがいくつもある。落ち葉は晩秋だけではなく、新芽が出る初夏にもあること。落ち葉にはキリがあって、木1本以上に出ないこと。だから、1週間か2週間がんばると、きれいにできるんや。

さらに、人の情けない心がもたらすゴミこそ、キリがない。けど、ゴミを捨てていっているのは、他の誰でもない、掃除をしていなかったときの自分だということに気がついたんや。いちばん大事なことに気づかされたんや。ありがたいで。

人生百年時代、一人掃除はライフワーク。まだまだやるで。

26年目の夏、掃除を終えて喫茶店でエスプレッソを飲むヤマケンさんの横顔は、実に爽やかだった。

(取材 池永重彦)

山本 健治
(やまもと・けんじ)
1943年大阪府生まれ。
フリーライター・
ニュースコメンテーター。
著書『掃除が変える 会社が活きる』 『たかが掃除と言うなかれ』『すべての一歩は掃除から』 (日本実業出版社)、『ホウキとヤルキ』 『便所掃除はお金を払ってでもさせてもらいなさい」』
(三五館)