教員生活に悔いなし(2)

元山口県公立中学校長
三好 祐司

大畠中で力を入れたこと(続き)

(2)自己肯定感を育む

「勉強しなさい」と言って勉強する子どもばかりなら苦労はありません。勉強しない子どもをいかに勉強に向けるか、が教師の腕の見せどころですし、そのための工夫が教師という仕事の苦しさであり楽しさです。小学校や中学校では、楽しいから頑張る、分かるから頑張るという体験の積み重ねが何より大切であり、教師はいかに楽しい授業や分かる授業を作り上げるかを考えなければなりません。しかし中学も後半になると、生徒が授業に頼るのではなく、自ら進んで勉強に取り組むことができるかどうかが、子どものその後の人生を決めることになります。早い子では中学1年、遅い子でも3年で、自分の将来を展望し、自分から意欲的に取り組むようになります。その際に必要なことが、「自己肯定感」と「自分を支える言葉」です。

大畠中に再赴任して気になったことは、前報で述べた「掃除」のほかに、「自分に自信がない」生徒が何人かいたことです。毎年の全国学力学習状況調査に、「自己肯定感」に関する質問があります。「どうせ自分なんか」とか「自分には無理」と、はじめからあきらめる生徒が多くの学校で見られますが、これが教育の大きな障害となります。小学校入学時は目を輝かせて何にでも取り組んでいた子どもが、小学高学年になると、自分に自信をなくし、自分を否定する子どもになることは珍しくないのです。

「宝物ファイル」の導入

私は子どもの自己肯定感を高めようとしましたが、掃除だけではうまくいきませんでした。そんなとき福井県の岩堀美雪先生が開発された「宝物ファイル」を知りました。(写真・著書『なぜあなたの力は眠ったままなのか』致知出版社)

自分の良いところや自分の過去、自分の両親との思い出など、自分に関する様々な情報を友だちと一緒に1冊のファイルにまとめるものです。このことで、「自己開示」が自然に行われるとともに、友だちを知ることもできて「他者受容」も行われます。これを何回かくり返せば、「自分は自分でいいんだ」の心理的安定感が生まれるのです。

すると、思春期特有の他人の目を気にすることがなくなり、自分らしさや個性を出せるようになります。勉強で分からないことがあっても、分かったふりをする必要はないのです。自分の弱さを許してくれる環境がそこにあるのです。ときにわがままをいう子がいても、周囲はそれを攻撃するのではなく、自ら気づくまで待つ寛容な集団です。度が過ぎて叱られても、それは諭しであり温かい注意なのです。自分の弱さをさらけ出せる場、そこでは自分の弱さを友だちを通して受け止められるのです。

自分の弱さを隠す必要がなくなれば、自己肯定感はどんどん伸びていきます。自分は自分でいいんだ、人と違っていいんだ、自分には自分の道があるんだ、という感覚が身につけば、「素直な心」に磨きがかかって、教師や親の働きかけが心に入ってくるようになります。少々の苦労にはぶつかっていくことができるようになります。

「宝物ファイル」の導入は、まず教職員からと思い、定期的に職員室でやってみました。毎回様々なテーマで自分の振り返りをし、それを開示しコメントを書いてもらっていました。すると教職員の心理的な壁がどんどん低くなり、教職員の仲がとてもよくなりました。いじめ対策の担当教職員が、他人の悪口を言うようでは効果的な指導ができるはずもありません。いじめの防止や指導の前提条件は、教職員全員の仲がよいことです。そして、「宝物ファイル」の良さを実感した先生が、生徒に指導して初めてその効果が現われます。

かわいいシールや写真を貼ったりして、世界でたった一つの自分物語ができていきますから、誰もが抵抗なく作成できます。自分の人生の歩みを振り返る作業は、大人にとっても子どもにとっても自分のありのままを受け入れ、自分を価値ある人間として認識することになり、自己肯定感の涵養に必要だと実感しました。こうして大畠中では、先生も生徒も「素直な心」になって心の壁が低くなり、自己肯定感の高い集団になりました。

(3)自分を支える言葉

次に大切なことが、自分を支える言葉です。私は、教育に一番大事なことは本人の意欲だと思います。周囲がいくら言っても、当の本人の心に火が付かなければ、何もなりません。私の故郷山口県の偉人吉田松陰が行ったのは、弟子の心に火をつけることでした。古今東西の偉人の言葉が多くの人々の心の支えとなっています。大人であれば、読書や講演会で自分を触発する言葉に出会うこともありますが、中学生では読書の量も範囲も大したことはありません。そのため、教師が語る言葉は子どもへの何よりの贈り物となります。私は、週1回発行していた学校だよりで、大切な言葉を載せ、その言葉に込められた意味を述べていきました。

参観日の日、ある母親が校長室に来て言われました。「校長先生の学校だよりを楽しみに読んでいます。子どもに書かれていると思いますが、私にもぴったりとあてはまる言葉がたくさんあります。以前は、学校だよりは捨てていましたが、自分の苦しい時にたまたま読んだら、その言葉が自分の中にすっと入ってきて、それ以来学校だよりを欠かさず読むようになりました」

私は、色々な場で様々な言葉を書いていましたが、それらは届いたり届かなかったりします。今すぐ役に立つ言葉でなくても、何かの折に「そういえばあの時、こんな言葉に出会った」ということでいいと思います。多くの言葉を知っていれば、苦しい時に自分の心の琴線に触れる言葉を思い出す可能性は高まります。苦しい時には、家族や友人に甘えてもいいでしょう。しかし、苦しみから抜け出る自分に力を与えてくれるのは、言葉です。

私が持っている大切な言葉の多くは、掃除仲間から頂いた本や会報にあった言葉です。掃除仲間は、「人生とは」「人間とは」「社会のために」などを扱う「人間学」ジャンルの読書傾向がありました。自分がいいなと思っていた言葉は、掃除仲間もそう思っていたものが多くありました。

「素直な心」を育てる掃除

以上、私が大畠中学校で行った教育をまとめますと、「掃除」体験をベースとして、「宝物ファイル」で自己肯定感を育て、「自分を支える言葉」を与えたということになります。

教育の目的は、教育基本法にある「人格の完成」です。そのための絶対条件は、生徒に「素直な心」があることです。しかしこの「素直な心」は、教師と生徒との掃除によって育まれるということを知っている人は多くないと思います。「やらされ掃除」しか経験したことのない教師は、掃除は生徒を監視する時間であるとしか考えません。教師に「生徒からも学ぶ」気持ちがあれば、学校掃除は、自分の教師としてのあり方を見つめる絶好の場となり、子弟同行の実践の場となります。掃除の価値を知る教師を増やすのは校長の仕事です。

掃除に熱心な教師を「変わり者」と見るのではなく、多くの教師に掃除の価値を理解してもらえれば、教師の指導力と感化力が向上し、生徒の素直な心が育ち、校風が劇的に変わります。掃除のない教育は、教育という看板を掲げた「教育もどき」といえるでしょう。

2019年(令和1)中国ブロック大会