愛知県高等学校校長 大見 学
教員生活18年目、教育に対してそれなりの自信をもっていた私は「掃除」に出会いました。その後掃除を続ける中で自分自身を見つめることができ、日本を支える若者の育成に強い使命感をもって取り組むようになりました。
便教会と出会う
便教会と出会う
2005年(平成17)43歳のとき、私はある高校で学年主任をしており、野球部顧問としては甲子園出場を目指して生徒を指導していました。このころ、授業や学年経営、部活動指導に自分の形ができ、毎日が仕事中心でそれなりの自信や自負もありました。一方では、生徒にもっと魅力ある教育を行い、自立心ある主体的な人間を育てたいとも考えていました。当時の私の指導は、「やらせる指導」でした。
同年知人の紹介で、大阪の教師塾に通うようになりました。カリスマ教師とか生徒指導の神様といわれる原田隆史さんの私塾でした。そこで、鍵山秀三郎先生の人物や理念について学びました。新たな師との出会いでした。早速、「西三河掃除に学ぶ会」に連絡したところ、便教会を立ち上げた高野修滋先生を紹介していただきました。
そして、野球部の生徒とトイレ掃除を始めました。便教会の皆様の指導のおかげで、生徒は一所懸命にトイレ掃除に取り組むようになりました。野球部は、全三河大会で優勝し、また私自身は自分の心と向き合うことができるようになりました。トイレ掃除を通じて、小さなことの積み重ねの重要さを強く感じて、始める勇気と続ける根気を、そしてすぐに結果を求めないことも学びました。
教育委員会で
2007(平成19)年度、県教育委員会に異動しました。生徒を前にした教育現場と勝手が違い、パソコンと向き合う事務中心の業務で、他業種に転職したような感じでした。そんな中気づいたのが、県庁周辺のたくさんのごみです。私はそれまで学校の中だけで過ごしてきた人間であり、生徒に「ごみを捨てない人になれ」とか「ごみを拾える人になろう」と言っていましたが、オフィス街は予想外に汚いことを知りました。
特に、地方行政を担う部署が集まった県庁周辺の官庁街は、県民や市民の模範となるべき人々が働いているはずなのに、多くのごみが散乱している状態に驚き、あきれました。そこで、勇気を出して毎朝ごみ拾いを始めました。最初の1週間は恥ずかしさを感じましたが、そのうちそういう気持ちもなくなり、5年間毎日続けました。
ごみを拾っていると、感謝の言葉をかけてくれる方もいれば嫌みをいう人もおり、いろいろな人を見ました。改めて、小さな良いことを積み上げる大切さを痛感するとともに、タバコの吸い殻が、「一つ拾えばひとつだけきれいになるなぁ」と語ってくる気がするようになりました。
2011年(平成23)年3月11日、東日本大震災が起こりました。衝撃の大災害でした。高野先生の声掛けで、バスを出して被災地へボランティアに6回出向きました。被災者に対しては、物理的な支援と同じくらい、心の支援の必要性を感じました。多くの人が現地にボランティアに行くことはもちろん、被災者の話に耳を傾けることで元気づけることになるのだと思いました。人のため、社会のために手足や身体を動かすことが、心を磨くなぁ、実践、行動こそが大切だなぁと感じました。
教頭として
2012年(平成24)、高野先生が便教会を立ち上げた高校に教頭として赴任しました。高野先生や志和池先生が作ったボランティア部の生徒と、トイレ掃除や近くの公園の掃除をしました。生徒指導部長など、一緒に参加してくれる教員もいました。そこで、生徒に「心の教育」をしたいと考え、トイレ掃除や鍵山先生の講演会を計画しました。すると、それまで黙って見ていた数名の先生が、突然猛烈に反対しました。そのために、つらい思いをした教員が何人もいました。
そんな最中、鍵山先生から「大見先生、その反対される先生方に仕返しをしてはいけませんよ」と助言されました。また本番一週間前に頂いたお手紙には、「邪を破らずして、誠意を移し植ゆ」とありました。先生は私の心の中が分かるようでした。温かい励ましとご指導でした。
生徒に「心の教育」「道徳教育」をしたいと準備してきた行事でしたが、私自身の心が強くなる素晴しい言葉をいただきました。先生にお越しいただいてお会いすると、私は以前にも増して「良い心」を持つことの大切さを感じました。そして、より本気で掃除に取組み心の教育をしていきたいという覚悟が高まりました。
その後、トイレ掃除とともに、2年間で教室や廊下の壁に白ペンキを塗り、鍵山先生に見ていただきたいくらいきれいになりました。いろいろなことがありましたが、この時期私の自我が小さくなったように感じます。
校長として
2019(平成31)年度、校長の命を受けました。スギ製菓の杉浦会長からトイレ掃除用具一式をお借りして、赴任しました。
この4月、元気だった母が脳梗塞で倒れ、左半身不随となり、今も介護施設にお世話になっています。母はいつも、「自分さえよければいいという人はだめだよ」といって、私を育ててくれました。これから本当の親孝行ができると思っていた矢先のことで、とてもつらく悲しいです。掃除をしながら、鍵山先生の本を読み返し、心を整理しております。
偶然トイレ掃除を一緒にしたことのある保健体育教員がいたため、月に一回トイレ掃除を行いました。しかしコロナで授業が休みとなった2か月間、三密を避けるため、土日に一人でトイレ掃除をしました。一つに5時間以上かかりました。コロナで、今までにない判断や対応を迫られて、大きな精神的ストレスがありましたが、掃除をするたびに心がスッキリしました。
毎朝校長室とその周辺を掃除や消毒し、毎日授業を見て回ります。その際、すべてのトイレも見ます。汚れていればその場で掃除し、トイレットペーパーがなければ補充し、汚物入れがあふれていれば片付けます。
今教育界は、ギガスクール構想などのICT教育や、主体的対話的で深い学び、教員の多忙解消が進められています。義務教育では、道徳の教科化も進められています。教育行政としては大切なことでしょう。しかし、「心の教育」が忘れられているように思います。日本の素晴らしい国民性は、過去の教育の成果であり、日本の歴史が築き上げた風土だと思います。
今922名の生徒の教育を司る長として、彼らを日本を支える若者に育てなければと、強い使命感を感じています。すぐに結果は出なくても、人が嫌がるトイレ掃除などをおこなうことこそが「心の教育」だと考えます。気づく、謙虚、実践から学ぶ、続ける、率先垂範、凡事徹底などを頭において、生徒の心の根を育む教育に励みます。
(「便教会新聞」第160号 編集)(446-0019愛知県安城市新明町23-19)