掃除から学んだ「おかげさま」の心
新宿調理師専門学校 保科 達彦
「掃除」を授業に取り入れ、独特の教育をしている調理師学校。学風が大きく変わったこの10年間を、教師のお一人が振り返りました。(「便教会新聞」第163号編集)
*
2012年、上神田梅雄校長が便教会に参加しました。「学校は知識教育ではなく、心の教育が最も重要」との信念を持つ校長が、それを学内にどのように伝えるかと考えての参加でした。多くの感動を得て戻った校長は、教職員に対して本気で「掃除を授業にできないか」と提案しました。
それまでの掃除
それまでは、クラス持ち回りのいわゆる「放課後の掃除」でした。教室の机や黒板、トイレや廊下など、見える所がなんとなくキレイになれば終わり、使った雑巾やゴム手袋は雑に干してありました。ときには、遅刻学生に教室掃除をさせたり、当番をすっぽかした学生にグリーストラップ(調理で使った排水と油を分離する器材)を掃除させたり、「罰ゲーム」のようなものでした。
恥ずかしながら、教職員の掃除に対する意識も、生徒とさほど変わらなかったと思います。私を含む教職員は、校長提案を受け入れたフリをしていました。
校長が特に強調したのが、トイレ掃除でした。「便器を素手で磨く境地は、体験した者にしかわからない」 職員会議での校長の発言は、それまでのゆるゆるの教職員には、かなりの衝撃であったと思います。「調理師学校が素手なんておかしい」、「感染症になったらどうするんだ」など、否定的な意見が多く挙がりました。要は、できない理由です。
その後も、実にいろいろなことがありました。かなりの時間を要しましたが、一人また一人とトイレ掃除に取り組む者が出てくると、一気に全体の意識が変わったように思います。
かくいう私も恐怖すら感じていたのですが、「家のトイレ掃除では手袋なんか使ったことないぞ」と思い直して勇気を振り絞り、ある時に手を突っ込んで掃除をしてみました。そのときの心境は、今も鮮明に覚えています。
掃除の授業開始
教職員の意識が少しずつ変わっていく中、2016年いよいよ掃除の授業が始まりました。まずは学内からでした。校長が便教会総会に参加して4年が経過していました。
意識転換のさ中にある教職員が、学生にどのように伝えるか、とても頭を悩ませました。初年度は、掃除のやり方や効率的な進め方などが中心でした。掃除をする意義や到達目標などについての話は、あまりできなかったこともあり、学生たちから反発がありました。その度に、意見や提案をみなで話し合い、少しずつ改良して来ました。
多かった文句は、「ロッカー室で着替えている先輩が邪魔で掃除できない」「掃除中にトイレを使われてムカついた」などでした。気持ちは理解しましたが、これは「掃除してやっている」の気持ちから出ているように思いました。「お互いさまだね」と声をかけながら学生をなだめていました。
特にトイレについての文句が多く、教職員でも協議し、「清掃中につきご迷惑をお掛け致します」の札を入口の扉に掲示し、お互いに気を遣いましょうということにしました。
街頭清掃を始める
2018年に、街頭清掃が授業として始まりました。朝7時15分学校に集合し、学校周辺のごみ拾いや植え込みを整えるもので、学生を数名単位に分け、新宿の街に出ました。
通勤の人々は、私たちを邪魔そうに、そして不思議なものを見るような目で、通り過ぎていきました。学生たちは、ごみや作業に集中して、通勤する人たちは見えていないようでした。しかし予想通り、文句を言い始めました。
「通勤する人が邪魔でゴミが拾えなかった」「目の前でたばこを捨てられてムカついた」などです。学内の掃除と同じでした。この時、私は「お互いさまだね」と言えませんでした。学内なら生徒同士の問題ですが、街となるとうまく表現できないのです。
掃除の授業2年、この時私は掃除の本質を理解していないことを痛感しました。掃除をすることは、「お互いさま」ではなかったのです。掃除の本質を伝えなければ、また同じことになるだろう―考える日が続きました。
私の意識転換
その年の夏、一つの答えが見つかりました。「ありがとう築地市場!トイレ掃除大会」です。豊洲移転が決まった築地市場ですが、これまでの感謝をこめて場内のトイレを掃除する大会でした。食を仕事とする者は、必ずお世話になる築地市場です。昼食のカレー準備を含めた140名が学校あげて参加しました。
私は実は、なくなる市場を掃除する意義は何か、そしてどのくらい汚いトイレだろうかなどと、疑念と雑念だらけでした。しかしいざその日、気づけば腕を金属製大便器の奥まで突っ込んで、ナイロンたわしで磨き上げていました。そして、やりたくないという思いが先行していた私が、楽しくトイレを磨いているのです。自身の変化を感じました。
次第に、私の心に変化が起きてきました。長年役目を果たしてくれたトイレに対してありがとう、学生たちのフレッシュな気持ちにありがとう、大会を開催してくれた皆さんにありがとうなど、たくさんの「ありがとう」で、私の心は満たされていったのです。市場がなくなるかどうかなどには関係なく、今この時この場に、トイレと、道具と、人と、自分が、掃除という取り組みで成り立っていると感じた瞬間でした。一人では、決してこのようなことに気づくことはできなかっただろうと思いました。
「おかげさま授業」
今年、掃除の授業は「おかげさま授業」という名前に変わりました。掃除に限らず、私たちの生活は誰かのおかげで成り立っている、と感じるためにつけられたネーミングです。
授業は、掃除のやり方ではなく、物事への取り組み姿勢や、自分との向き合い方などを扱っています。学生たちにも少しずつ変化が現れています。トイレ掃除の際に「ご迷惑をおかけします」の札が、使われなくなったのです。互いに気を遣う意識が芽生えた結果であろうと思います。またクレームも少なくなり、「ロッカーで先輩が着替えていたので、別の所から掃除を始めました」など、「邪魔」という表現を使わない生徒も増えました。
掃除は、お互いさまではなく「おかげさま」である。そう気がついてからは、私自身掃除に学ぶという謙虚な姿勢を忘れることがなくなりました。さらに、掃除は「キレイにすること」ではなく、「みんなが使いやすいよう考えること」であると感じています。
私の次のステップは、「掃除は思いやりである」ということです。この気持ちで、授業などに邁進していこうと思います。
(新宿調理師専門学校 160-0023新宿区西新宿6-5-3)