出逢い・ドラマ・感動 道場で若者を育てる警察官
なかよしの掃除に学ぶ会 羽根 康英
自宅に道場をつくり、掃除をし、“志”を語り合い、若者の育成に励む現役警察官がいる。羽根康英さん59歳。
トイレ掃除との出逢い
羽根さんは、1962年生まれ。1981年奈良県警奉職、ピストル射撃教官となり、国体などに出場。国体2位以上の成績が出ずにもがいていたとき、広島県警竹内光弘氏の「トイレ掃除による暴走族更生」の論文を読んだ(「清風掃々」第35号)。道を外れた子どもの心を変えるトイレ掃除とは、一体どういうものか。
2002年「奈良掃除に学ぶ会」に参加した。ひどい臭いの中、素足に素手で便器を磨く行為に衝撃を受けた。指示にしたがって磨くと汚れが落ち、そして便器が真っ白にピカピカになり、何ともいえない達成感があった。その感動の中で気づいた。
「私は便器に手をつけるほどの思いで射撃に向かっていただろうか。一番になることに囚われ、競技の喜びや感謝の気持ちが欠けていたのではないか」 現役最後として臨んだその年の国体で久々に入賞した。そして自分を見つめ直し心を磨くために、トイレ掃除をやろうと決心した。
青少年健全育成のトイレ掃除へ
2004年中吉野警察署交通課長、2006年生活安全課長に異動。県立大淀高校の非行防止教室に赴いたときに、胸に秘めていたトイレ掃除を提案した。生徒5名で始めることができた。その後次第に参加者が増え、少年補導員が豚汁などを作って応援するようになり、彼らは「青少年健全育成大会」で発表した。この活動は、翌年大淀高校の特別活動学習指導研究会の研究主題になった。羽根さんは、トイレ掃除は学校と地域と警察が一体となれる活動だと確信した。
教育長の大粒の涙
2007年、近鉄駅前で少年たちがたむろしているという苦情が入った。現場に行くと、20名ほどの茶髪の高校生が座り込んで騒ぎ、ゴミを散らかしていた。羽根さんを見ると、「何しに来た」と威嚇した。翌日も行くと、3人が話しかけてきた。そこで「ゴミを拾おうよ」と言うと、手伝ってくれた。ゴミを拾いながら商店街の方に進んでいくと、店の人が「ありがとう」と声をかけてくる。少年たちはやる気を出し、袋いっぱいのゴミを拾った。羽根さんは、彼らをトイレ掃除に誘った。
約束通り3人の少年が現れた。以前検挙した少年も含めた4名が、「奈良掃除に学ぶ会」の人たちと観光文化センターのトイレ掃除をした。少年らは、トイレに恐る恐る手を出した。ところが、汚れが取れるにつれて便器磨きに没頭し、両膝と片手をついてたわしで床を磨き、そして晴れ晴れとした笑顔に変わっていた。
終了ミーテイングのときである。教育長がやってきた。教育長は少年たちを見て、大粒の涙を流し「ありがとう」と言った。その瞬間少年たちは呆然となった。それから少年たちの言葉が敬語に変わったのだ。駅前の少年のたむろは、やがてなくなった。
たった一度のトイレ掃除だったが、これで終わらなかった。翌年春、その一人が「羽根さん、またトイレ掃除したいです。就職面接でトイレ掃除の話をしたら採用されました」と、お礼に来たのだ。
2011年には、もう一人が「掃除に学ぶ会」に現れ、調理師資格を取ったことを羽根さんに報告に来た。2人は5年ぶりのトイレ掃除を一緒にした。そして少年は奈良掃除に学ぶ会のメンバーになった。
羽根さんは嬉しそうに話す。「人に認められることが少なかった少年たちは、警察官が一緒にトイレ掃除をしてくれることに驚いたのです。トイレ掃除を通じて大人と心が通い合ったのです。掃除をすると、謙虚になり、気づく人になり、感動の心が生まれ、感謝の心が芽生えて心が磨かれると実感しました。そして私も妻に『ありがとう』と言えるようになりました」
志を語る研修道場をつくる
羽根さんは、青少年育成は取り締まりだけでは不十分で、彼らの心を育てることが大事だと思うようになった。2009年、「中吉野」と「仲良し」をかけた「なかよしの掃除に学ぶ会」を立ち上げた。さらに、若者の提案で、私塾「心洗組」をつくり、神社仏閣を清掃する活動を始めた。
圧巻は、自宅隣の家屋をリフォームして、研修道場を作ったことである。壁に額や掛軸などを掲げ、プロジェクターとスクリーンなどを備える20畳。この道場は、羽根さんが若者に公務員試験指導をしたり、ときには食事もとりながら志を語り合う、羽根さんの青少年育成に賭ける情熱の象徴である。
成長する若者
2011年3月、東日本大震災発生。若者たちは「被災地の力になりたい」と、募金のほか、生活用品や子供用自転車13台を集めた。羽根さんは、車でこれらを被災地に2回届けた。
同年9月、台風12号で奈良県十津川村に甚大な被害が出た。9名の若者と羽根さんら有志5名が復旧支援に行った。現地では、橋が流され道が寸断されていた。
岩や土砂を撤去して道をつけ、丸太を切って谷に橋をかけることにした。村の人は「7日はかかる。素人には無理だ」と言ったが、彼らは夕方までにやりとげた。村の人に大いに喜ばれ、この道は「なかよしロード」と名付けられた。
(写真)
羽根さんはいう。「公務員志望の子らは、社会の役に立ちたい意識が強いですが、トイレ掃除によって問題解決能力が育ったと思います。汚いものに手を出すということは、問題に近づくということです。心の壁を取り去るトイレ掃除の力はすごいです」
被災地に学ぶ会
翌2012年若者たちは、被災地を見たいと言った。奈良掃除に学ぶ会の有志と「被災地に学ぶ会」を結成し、現地を訪れた。大川小学校では、案内の奈良県警から出向の警察官に「ここで骨を拾って、ご家族にお渡しするのが私の役目です」と聞いて、若者たちは絶句した。重機を運転して娘さんを探すお母さんとお祖母さんからも話を聞いた。
被災地は、自己を見つめる場となった。旅が終わって、2人の若者が警察官を目指した。1人は羽根さんの子息だ。「心洗組」で学んだ若者は40名、トイレ掃除を経験した警察官は奈良県警で70名以上となった。
出逢い、ドラマ、感動
羽根さん「大淀高校で、生徒会から参加した瑛里ちゃんは、その後も一緒に掃除を続けました。便器に手を入れたことで、目の前の困難を乗り越える力が身につき、たくましく成長したことに驚いています。3年前に結婚して北海道にいますが、里帰りの度に顔を見せてくれます。
震災支援活動に参加した友美ちゃんは、一人で何度も被災地に行き、石巻の保育所に毎年実家で育てた梨を届けています。
2年間心洗組でがんばった稜ちゃんは、今春夢だった警察官試験に一位合格し県警に入りました。仏壇の前で手を合わせ、亡きお父さんに号泣して報告していたと、お母さんから聞きました。
毎回佳き出逢いがあります、ドラマがあります。この感動は私のエネルギーです。トイレ掃除に出逢って、本当に良かった」
…羽根さんは再来年定年退職するが、この道場で若者の育成をさらに続けようと考えているようであった。(取材 編集室)(639-2164奈良県葛城市長尾282)