とてつもないトイレと格闘
西尾を美しくする会 加藤 亮輔
「便教会」生みの親高野修滋先生(66)は、「地元西尾市でも何かやりたい」と思っていました。名鉄西尾駅の見事に汚れていたトイレを見て、「これは街の恥だ」と感じ、教え子と始めた活動が、2021年12月に第100回を迎えました。教え子の1人、加藤亮輔さん(28)が語ります。
(注)「便教会」 教師の教師による教師のためのトイレ掃除に学ぶ会。「ただ身を低くして実践あるのみ」がモットー。2001年発足、日本各地にできている。
私たちは、名鉄西尾駅高架下の公共トイレを中心に、市内のトイレ及びその周辺の美化活動を行っています。初めに決めた「必ず月に1回は活動する」を守っています。
妖気を発する駅のトイレ
愛知県西尾市は、抹茶の生産やうなぎの養殖で知られ、西尾城や国宝金蓮寺弥陀堂を有する歴史ある街で、国内外に観光をアピールしていました。ところが、有志の西込修詞さんが、市の玄関口西尾駅のトイレがとてつもない妖気を発していることに気がつきました。
そこで、「便教会」で全国にトイレ掃除普及に力を注いでいた高野先生に声を掛けました。先生自身も、「地元西尾市で何かやってみたい」と胸に秘めていたものの、一歩踏み出すキッカケがなかったようです。ここからトントン拍子に話が進みました。
ちょっと休憩
余談です…私は2006年、中学1年で「西三河掃除に学ぶ会」のトイレ掃除に出会い、高校2年のときに高野先生が副担任となった因果で、今回ペンを執っている一会社員です。斜に構えた高校生の私と、ちょっと風変わり(?)な熱血お掃除教師高野先生は、10年の時を経て、偏屈な若造と、地域の熱血お掃除おじさんの関係になりました。
毎月の生活の軸ともなった、清掃の場のあることに大変感謝しています。また、西尾を美しくする会第100回の節目に際して、まとめの機会をいただきまして嬉しく思います。
1歩目は突然に…
閑話休題、私は大学進学で長崎県佐世保市へ移り住んでいました。あるとき、高野先生が熊本・長崎にお越しになるとの連絡が入りました。返事は、「はい」か「イエス」しかありません。同じ高校から進学した友人の場谷翔汰君と、現地に直行しました。
またその後、2015年6月、母校での教員免許取得の教育実習で、実家に戻っていました。さて、西尾を美しくする会の第1回の活動が、2015年6月13日。おやおや、これはこれは・・・。このときも高野先生から連絡が入り、「はい」と、同じく教育実習で実家に戻っていた場谷くんと直行しました。
とてつもなくハードな数時間
12人によるそのトイレ掃除は、8時半から14時前後まで続いたことは記憶にありますが、取りかかりの印象などがすっぽり抜けています。それは、この掃除がとてつもなくハードで、無我夢中にやっていたからだと思います。〝行動の鬼〟高野先生ですら、始める踏ん切りがつかなかったのはこのためか、と思い知らされるほどの汚いトイレとの格闘でした。
「トイレ清掃中」に文句をいうお客様もおられましたが、そんな言葉ごと綺麗にしてやるぞという気迫で取り組みました。
途中駅長さんが見に来られ、驚きの表情に続いて、感謝の言葉がありました。高野先生の勤務高校から参加した生徒らには、勢いと明るさと素直さがありました。これらのことに励まされ、数時間の強烈なトイレ掃除を終えることができました。
今思えば軽い熱中症だったかもしれません。そして、汚いトイレをきれいにしたという清々しい達成感が加わって、研究授業前の暗い気持だった私には、とても気持ちの良い時間でした。
歩き出したら止まらない
私はその後しばらく不参加でしたが、高野・西込ペアの実行力はすごく、またそれに応える方々・生徒の皆さんにより、月1回以上続きました。そのうちに「別の駅でもやりたい!」とか、「海水浴シーズンの前に浜辺のトイレをキレイにしたい!」という声もあがりはじめました。原点西尾駅を中心に、活動の場と人の輪を広げていきました。
コロナ禍でも最善の対策をとって、掃除を続けています。現在はメンバーも変わり、年齢、職業などさまざまな人が集まり、「トイレ掃除」という1つのことに夢中で取組み、気づきや発見を共有する場となっています。
100歩目も変わらぬ1歩
私は、初参加や久しぶりの方とお掃除することが楽しみです。「やっぱり掃除はいいなあ」などの感想を聞くたびに、続けていてよかったなあと思って、忘れていた自分の新鮮さを取り戻します。
キレイにする2つのコツ「コツコツ」と続け、6年半で100回、「家族のような温かな会」(高野先生)となりました。「10年偉大なり。20年畏るべし。30年にして歴史になる」まずは10年に向け、愚直に続けて参ります。
(447-0842愛知県碧南市浜田町4-12)