特 集

忘れがたき日々あれから十年

東日本救援隊 竹中 義夫 

 2011年3月11日の東日本大震災。その一か月後に結成し、壊滅的被害を受けていた石巻市のある小さな漁港を中心に支援を行った東日本救援隊。その活動を、事務局の竹中義夫氏がまとめた書籍が自費出版されました。
 累計9年半、推定延べ約3千人、全国の掃除に学ぶ会の人々に一般の方も加わって、「東北の復興」に心を一つにして活動した、記念誌から引用します。
隊長 新美文二 副隊長 杉浦三代枝・安藤友治 事務局 竹中義夫

東日本救援隊の結成

○4月7日 夜8時、救援物資を大型ライトバンに積み、碧南市を出発。通行止めの自動車道を迂回しながら700㎞、石巻市着。
 そこは、大津波により道に大きな船が横たわり、街中ガレキの山で、恐ろしく暗い空気の廃墟の街でした。避難所では自衛隊の炊き出しに並ぶ列が渦巻き状につながり、3時間も待つ方々を見て、本当にお気の毒で申し訳ない気持ちになりました。
 この衝撃的な状況を見て、「物資を届けるだけでは済まない!」「救援隊を組織して出直そう」と、4人の意見がまとまりました。
○新美、杉浦、安藤、竹中4氏の会社が30万円ずつ、そして個人のカンパ10万円の計130万円で救援隊を結成。この資金で、活動の食事、光熱費、雑費を賄い、3か月ですべて使いました。
 しかし3か月後のテント撤収時には、手元に何と180万円が残っていたのです。全国から来てくださった方々は、手作りの食事などの「おもてなし」に感動され、多くの方がお金を置いていかれたのです。それらが180万円になり、これがあったからこそ、その後の活動ができました。
○4月27日、愛知県の有志20名が、専修大学内にベーステントを1日がかりで建設しました。地面からの湿気遮断のパレットの上に畳を敷いた、快適なテントになりました。4月29日活動開始。
 特に思い出に残るのは、木ノ屋石巻水産様の泥の中に埋まった60万個の缶詰の掘り出しです。
ヘドが出るほどの異臭の中、缶詰を洗って、東京で「希望の缶詰」として一個500円で売り出し、完売したとか。それが従業員さんに支払われたと聞いて、お役に立てた喜びを感じました。
○ベーステントでの生活は、毎日朝6時のラジオ体操、ミーティング、朝食後出発。帰って入浴、夕食、ミーティング、就寝と規則正しいものでした。夕食はみなが語り合う時間でした。3か月で500名が泊まり、ベーステントは全国から集まった人々の活動拠点となりました。

石巻専修大学キャンパスに設営したベーステント


木ノ屋石巻水産で、泥の中から缶詰めを掘り出す

雄勝町立浜復興プロジェクト

○(6月5日~)災害ボランティアセンターからの仕事は、人数や天候などに左右されて、仕事確保もままなりませんでした。そこで、定点で仕事が常にある場所を探していたところ、車で40分の所に、支援の手が届かずに孤立していた雄勝町立浜地区を知り、この地区に力を注ぎ始めました。
 途中、児童・教職員84名が亡くなった石巻市立大川小学校で慰霊をしました。その衝撃的な姿を見て、立浜では一層作業に集中できたと思います。
○18mに及ぶ巨大津波に襲われ、ほとんどの家屋や漁船、漁具が流失していました。家屋の片づけ、泥出し、ガレキ撤去などが延々と続きました。絶望の淵にいた漁師さんが、声をかけてくれるようになりました。
○7月30日ベーステント撤収。立浜は見違えるほどきれいになり、11名の漁師さんたちから、「もう一度漁業を復活させたい」という言葉が出てきました。しかし、家や船や漁具などすべてを失っています。必要なものは資金!私たちはここでやる気が一段アップしました。
○雄勝湾は、ホタテ養殖の好漁場でした。支援金1万円、ホタテが取れたときに、3千円分のホタテをお届けするという「立浜地区漁業復興支援」資金集めプロジェクトを考えました。
 目標500万円の自信は皆無でした。ところが、なんと3か月で1316万円の入金があったのです。支援者はホタテを期待してではなく、復興の役に立ちたい思いで支援してくださったのです。本当に心温まる話です。そのお金を漁協に贈呈しました。

漁業復興支援金の贈呈(2012.1.30)


○(2012年5月11日~14日)漁師さんの次の依頼が、「北野天満宮春の大祭」の開催でした。600年前の室町時代から続いてきた祭りを、村の「復興祭」として位置付けたいとのこと。ところが、500㎏の神輿を担ぐ若い男性がいません。愛知県から大型バスを出す応援ツアーで30名の担ぎ手を集め、屋台を出して皆さんに料理をふるまいました。伝統を引き継いできた、熱い思いとけじめがこの大祭に込められていました。応援ツアーは4年間行いました。
○(8月24〜28日) 大震災後の11月に仕掛けたホタテの稚貝が成長して出荷できるとのことで、16名が手伝いに行きました。末永千一郎組合長は「このホタテはすべて、義援金を出してくださった全国の皆様に発送したい」とのこと。生活品すら整っていないなか、漁師さんの男気に胸がつまりました。11月から12月にかけては、ホタテをいかだに仕掛ける「耳吊り作業」で猫の手も借りたい超多忙な時期。私たちも応援しました。4年間耳吊りツアーを行いました。


ベーステント活動日誌

細井勝伍様

 僕はボランティアに参加したことがなかったです。自分には縁のないことだと思っていました。今回は、行かなければいけないという衝動にかられ、来てしまいました。何かしたくて、とにかく誰かのために何かしたくて来ました。そしてすばらしい仲間と活動して、自分の中で何か変わっていく思いがあります。うまく書けませんが、人生に影響を受けました。一歩前進できたと思います。素晴らしい仲間と出会えたのも、僕の宝物となりました。


外山豊・光江様
 5月連休に夫婦で参加し、今回は2回目です。主人と、家に帰っても話し合いました。ボランティアに参加された方の志は、これからの日本を変えていく力があるということ。そしてトイレ掃除で水を大切にし、掃除道具を大切にすることなどを、実践で学びました。ここで学んだことを、学校や地域、職場で伝えていくことが大事だと思います。

北村大輔様

 「後悔なきように」との思いから、参加しました。震災から2か月たった今もすさまじい光景です。しかし鹿妻小学校の子どもたちの笑顔とパワーのある声を聞き、「今何ができるのか」「自分には何ができるのか」と改めて考える機会をいただきました。

戸田神司様

 国の支援もない、自衛隊も来ないなか、黙々と現実を受け入れ、ひたすら先を見て生きる人たちを見て、私の右脳は強烈に揺り動かされています。…忘れかけている日本人の心を思い起こしました。

田原憲夫様

 鹿児島から来てほんとによかった。自分の目で確かめ、肌で体験したことをみんなに伝えたいと思います。被災者の方々が、生きる元気と明るさを取り戻していただければ…ここでのご縁と体験は一生の宝物になります。
ボランティア参加者の寄稿

安井佑騎さん (愛知県)

 たくさんの仲間が東北にボランティアで駆けつける中、仕事もあり何もできなかった。歯がゆかった。5月連休、電車を乗り継ぎ仙台まで。2日間の活動を終えて帰る際に、竹中さんにいわれた言葉である。
 「一度ここへ来て終わりじゃいかん」「帰って現地の状況を伝えること、そして仲間を連れて戻ってくること。それがここに来た者の背負うべきものなんだ」
 現地の漁師さんが、ガレキの中で言った。「おれたちでよがったんだよな~(他の人が被害に遭わずによかった)」 すべてが私の心に生き続けている。

大木ひろみさん (東京都)

 テント設営3日目の4月29日から、3泊4日で行きました。そのテントは、群を抜いた大きさでした。その後3か月間に8回行き、約30日滞在しました。初めは寒くて寝袋に毛布を入れて眠り、夏場は暑くて水に浸したタオルをかぶって活動しました。
 3張りのテントは男女別で、畳にカーペットが敷かれ、女性用テントは、食品庫を兼ねていました。もう一つは、キッチンと発電機で明かりがともる集会室でした。4升炊きガス釜、調理器具類に多くのお水、食料、調味料まで。道具用テントには、ガレキ撤去用道具が揃えられていました。
 現場作業は、初参加の方が優先され、私はテント番をすることがありました。お迎えとお見送り、食料、飲み物の調達、食事の支度と仮設トイレのお掃除です。1日中長靴をはいて、テントを出たり入ったり、やることはいくらでもありました。
 人数分のおむすび握る テントの朝 今日は何人お帰り 何人来る お昼は何人 夕食何人 夕食何にしよう 
 お米2升に 水何カップ 熱血集う 梁山泊 談義するテーブルの 下は土

夕食風景 全国から集まった人々が親睦を深めました

あとがき 竹中 義夫

 2020年暮れ、ステイホームのなか、東日本救援隊の記念誌を制作しようと決めました。約40名に思い出のメッセージを投稿いただき、感激しました。
 私も愛知から現地まで、片道700~800㎞の道のりを、一人で夜通し車を運転し、これまで40数回訪ねています。いつも「行かねばならぬ」という熱い気持ちがありました。そしていつも充実感が伴っていました。
 私の一番の思い出は、壊滅的な被害に遭った雄勝町立浜地区です。漁業の復興に立ち上がった11名の漁師さんの心意気はすごいものでした。大震災の翌年は、600年続く村の守り神「北野天満宮社」の春の大祭を見事に挙行し、同年8月には大震災後に仕掛けた養殖ホタテの出荷を実現させる勢いに、私たちも大いに引っ張られました。ともに喜びあい、立浜の皆さんとは熱い絆ができました。
 今は高台の造成地区に新居を建て、漁業に専念しておられます。本当にうれしい話です。活動を通して得られた数え切れぬ貴重なご縁、学び、感動、そして喜びは、わが人生の宝物として心に刻んでまいります。

(447-0889愛知県碧南市東浦町4-18-1)

高台に建てられた住宅(高浜地区)

津波到達地点に建てた石碑