中学教師時代の挫折
愛知県高校教師 安井 佑騎
中学教師時代、自分が原因で起きた学校全体の事件により辞職も考えた私は、28歳で「掃除」を知りました。36歳で念願の高校教師で野球部監督になり今年40歳。「掃除」を知って以来の半生を振り返ります。
高校野球部の監督を志す
私は1982年、愛知県に生まれ、父の影響で小学時代に野球を始め(写真)、中学と高校で野球部に入りました。高校では仲の良い友人が野球部に入部しなかったことが原因ですぐに退部し、非行に走りました。2年生の時の担任との出会いで再入部を決意し、3年生で副キャプテンとなって自己肯定感が生まれ、高校教師になって野球部を率いたいという夢ができました。
中学校勤務時代の挫折
2003年中京大卒業、1年の特別支援学校講師を経て、中学校教師になりました。校長の「日本一の中学校にする」という方針のもと、私は野球部顧問として、野球部を日本一にすることが自分の役割と勘違いし、傲慢で力づくの熱血指導をしていました。
掃除の時間には、掃除をしていない生徒を叱って回る一方、野球のグランド整備だけはこだわってやっていました。ひたすら野球ばかりして、先輩のアドバイスに耳を傾けず、家の中はごちゃごちゃでした。この結果を求める指導がうまくいくはずもなく、同僚や生徒、保護者と溝ができました。
5年目、自分の未熟さが原因で生徒・保護者からの信頼を失い、同僚にも迷惑をかける案件が発生しました。責任を感じて辞職を考えましたが、2年前に結婚して子どももいたことで、校長から止められました。
勤務5年で異動になりました。校長から言われた「お前は協調性がない」という言葉は、ずっと心に残っていました。
運命の二つの出会い
失意の中、2010年東海市立横須賀中に異動しました。そこでは仕事を率先してやり、困っている同僚を手伝うようになりました。この年、2つの運命の出会いがありました。
まず、職員室で隣の三上真理子先生に出会ったことです。彼女は、全校900名の生徒にしっかり掃除をさせるにはどうしたらいいのかと悩んでいました。その後、一緒に活動したり、相談相手になりました。
2つ目が、「掃除」との出会いです。夏休みに先輩先生より、鍵山秀三郎先生の著書を紹介され、鍵山先生や日本を美しくする会の存在を知り、時間を忘れて読みふけりました。その本には、私が疑問に思っていたことの答えやヒントがあって感銘を受け、この人に会ってみたい、トイレ掃除を実践してみたいと思いました。その本で、全国に掃除の会があることを知りました。
さらに調べていると、第10回「便教会」総会が計画されていると知りました。申込期限は過ぎていましたが、窓口の竹中義夫さんに熱く勧められ、三上先生も誘って参加を決めました。
世話人高野修滋先生のあいさつで、トイレ掃除に出会った経緯や、「教師の教師による教師のためのトイレ掃除に学ぶ会」、「方法論や技術や手法でない、ただ身を低くして実践あるのみ」の言葉が、心に響きました。
「便教会」総会の衝撃
予想以上の人がいて驚きました。全国から「自分の意志でお金を出して集まっている」多くの方々を見て胸が熱くなりました。
各地の実践報告では、汚かった場所がきれいになり、整頓されることで、教師が変わり、子どもが変わり、学校が変わっていく様子を映像で見ました。
掃除実習は、私の我流のやり方とは大きく違っていました。便器の数より多くの人が配置され、さまざまな道具を使うやり方を教えてもらいました。約2時間、頑固な汚れをキレイにしていく便器磨きでは、「わがままで傲慢な汚い心がきれいになる」感覚を味わいました。
私は、言葉では言い表わせないほど爽やかで穏やかな気持ちになりました。自分の勤務学校を、このように変えるきっかけは、私と三上先生でつくりたい。そして教師と生徒のみんなでこの感覚を共有できたら、どんなに幸せかと思いました。心のモヤモヤがすーっとなくなり、心にお掃除の火がついて、天にも昇るような気持ちでした。
終了後高野先生に、勇気を出して「私の学校でもトイレ掃除をしたいのですが」と相談すると、「ぜひやりましょう」と快諾していただきました。
私の姿勢
勤務校で同僚に声をかけ、第1回便教会をスタートさせました。回を重ねるごとに参加者は増え、無敵にもなった気分でした。
しかし、私は皆とは一緒に掃除をせず、写真や動画を撮ってまわっていました。掃除リーダーは、高野先生や掃除に学ぶ会の方に頼り、掃除道具は、スギ製菓の皆さんが早朝から準備持参してくださり、終われば会社に持ち帰って後片付けしてくださっていました。
本来私がリーダーとして率先しなければならないのに、自分で道具を揃え後片付けするまで、その大変さに気づけませんでした。そんな重心の高い、人に頼ることでしか続けられないやり方は、長く続きませんでした。私は大きな勘違いをしていました。
同僚からの批判
同僚から、批判の声が聞こえるようになりました。しかしそれを受けたのは、私でなく三上先生でした。なぜなら、私は翌2011年4月に愛知工業高校(定時制)の教師に異動したからです。彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
批判している元同僚のところに何度も行こうと思いましたが、その分三上先生への風当たりが強くなることは明らかでしたので、できませんでした。何もできないことが悔しく、心が痛みました。
自分の異動後も学校でトイレ掃除が続くように考えて、高野先生にお願いした第11回便教会総会。その会場が横須賀中になったのも、彼女への重圧となりました。
このときの心境を、三上先生が語ります。(『清風掃々』第36号)
「便教会総会に出て、新しい世界を知って感動し人生観が変わりました。帰宅するやアパートの階段を上から下まで夢中で掃き、学校でも生徒を誘って掃除を始めました。
しかし、思うようにはいきませんでした。『職員だけで勝手にやれば』 『立場を利用して取り組むのはどうか』 『何かあったらどう責任をとるのか』など−。
さらに、靴箱に入っていた匿名の「反対」の手紙、教頭から聞かされた周りの先生の不満の声などを聞いて、ここまでかと泣きました。
便教会と聞くだけでも嫌になり、これまでのことはなかったことにしようと思いました。しかし便教会の皆さんは、色々な形で声をかけて下さり… 『一人で戦っている』と思っていた私は間違っていることに気付き、教室の環境を整えるなど、できることを再び始めました」 (つづく)
(484-0076愛知県犬山市橋爪地蔵下30-4)