母と掃除から学んだ生き方

 東大−NTT入社のコースを歩んだ宮之本伸さん(57)は、50歳で郷里の民間企業に転職し、2年前に松本市副市長に転身しました。母や掃除に学んだ謙虚な生き方と多彩な人生経験をもとに、世の中へ恩返ししたいと思う宮之本さんに聞きました。

 私は、1965年長野県上水内郡の山村で生まれました。父は農協職員でした。高校入学で人生初めての引っ越しを経験し、社会に出ても20回引っ越し、今は松本市のアパートで単身赴任生活です。90回以上引っ越ししたという葛飾北斎のように、住居にこだわりを持たないのも、一つの生き方かもしれません。
 1988年、東大を卒業して入社したNTTでは、その後の人生を生きていくうえで必要な、経営とITについて学びました。日本輸出入銀行への出向や、1997年ロンドンに5年、2005年インドに5年駐在しました。
 特にインドではNTTの現地法人責任者でしたが、日本人は私一人。単身赴任生活で、住所探しから何まで行いました。自分一人では何もできないことを思い知るとても大きな経験でした。
 2015年、事情によりNTTを離れ、故郷長野県のケーブルテレビ会社に転職しました。2018年、ずっと関心のあった教育の仕事として、佐久長聖中学校・高等学校の副校長・駅伝部総監督に就任。
 2020年、臥雲義尚松本市長の要請で、民間から初の副市長に就任、脱炭素、デジタル、産業振興、交通、文化観光、こどもなどを担当しています。

ポイ捨て空缶に関心を持つ

 25歳のころ、通勤時に歩道に転がっている空缶が気になって、毎日一つ拾い始めました。ただ海外勤務では、妻に言われた「道路にあるものを拾うのは危険だからやめて」を守っていました。毎日のゴミ拾いは今も続けています。30年前は、空缶に液体が残っていることはほとんどありませんでしたが、今は半分くらいは飲みかけです。
 私のゴミ拾いは、「凡事徹底」にいたっておらず、「凡事継続」です。毎日通勤時などに拾っています。ゴミ拾いでは、人間の性(さが)について考えます。多いのは、たばこの吸い殻です。誰もがたばこは体に悪いことは知っていますが、やめられない何かがあるのです。コロナがはやりだして、マスクが多くなりました。私は、顔につけるマスクが、なぜここに落ちるのかとか、どうして飲みかけの飲料容器が多いのか、などと考えながら拾っています。

鍵山掃除道との出会い

 2011年、職場の同僚に鍵山秀三郎『凡事徹底』(致知出版社)を借りて読みました。2014年2月20日、その同僚に誘われて、日本を美しくする会の「鍵山掃除道50周年記念大会」に参加し、相談役に初めてお会いしました。
 3日前の日記に記しています。「今週の木曜日、鍵山先生といっしょにお掃除ができると考えるととてもうれしい。今年80歳だそうで、父の一歳年下だ。朝食時、妻と娘に自分の人生が変わるかもしれないと言ったら笑っていた。4時半に起き、新宿の公園を掃除するなんて、彼女らにしたら常識外れか」

足の裏のお方 鍵山相談役

 新宿駅のコインロッカーに荷物を入れ、大久保公園に向かいました。暗い中、全国から600人が集まっていました。圧倒されました。中田宏元横浜市長と奥様に、「いま何をしていらっしゃいますか」と聞いて「衆議院議員です」と…。ばつが悪いとはこのことです。相談役は、お二人の仲人だとのことでした。
 終了後、相談役と同僚と記念撮影をしました(写真右)。相談役は、私の持っていた経営者のイメージとはかけ離れていました。『凡事徹底』の坂村真民先生の序にあります。「わたしの詩の『貴いのは足の裏である』…本当にこれを生活の中で実践している人は少ない」。鍵山先生は、この詩にふさわしいお方というのが強烈な印象として残りました。
 帰りはとても足取りが軽く、しかも興奮していました。この日以降、毎月新宿渋谷の街頭清掃に参加しました。「今日は相談役にお会いできるかなあ」と、ワクワクしながら通っていました。相談役の本やDVDはほとんど持っています。

小布施掃除に学ぶ会

 2015年、大組織を離れて長野県の会社に転職しました。50歳で何か新しいことに挑戦したいと思ったこともあります。東京で身についた掃除を続けたいと半年探し、「小布施掃除に学ぶ会」を見つけました。片道80㎞、車で2時間ですが、毎月参加しています。
 私が遠路参加する目的は、まず同じ志をもって取り組む仲間の木下豊代表世話人や牛山大輔さんにお会いできるからです。皆様と話し体を動かしていると、とても仲間意識を感じます。
 次が、心が穏やかになることです。毎月第二土曜日の早朝、小布施町栗ガ丘小学校の例会に参加すると、自分の心が整ってくると感じます。

宮之本伸(右2人目)(2022.4.10)

母の教え

 職場や役職が変わっても掃除を続けているのは、「謙虚でありなさい」という母の教えがあるからだと思います。母は2007年、69歳で肺がんで他界しました。
 生前よく「天狗になるな」と言われました。高校生のとき、地域の卓球大会でのことです。私は優勝したあと、試合を見ていた母にほめられるかと思いきや、鬼のような形相で叱りつけられました。卑怯な勝ち方だと。母のいう通りでした。
 母に反発もしていましたが、今は反省の毎日です。毎朝自室で、母の位牌に手を合わせています。帰宅しては、「お母さん、今日の私はいかがでしたか?」と尋ねています。母は答えてはくれませんが、対話は死後深まっています。母の回忌に、お坊さんに「寂しい」と告白すると、「さびしくば おのがからだにふれてみよ かたみにのこるおやのぬくもり」という句を教えてもらいました。母は私の中に生きています。

「動中の工夫」

 身構える必要のない仲間と一心不乱に体を動かし、気づきが深くなる「掃除」は、私にとって必要です。相談役が講演でよく紹介される白隠禅師の言葉。
 「動中の工夫は静中の工夫に勝ること百千億倍」 
 座禅などの静的な修行もよいが、掃除などで体を動かしながら自分を見つめると、大きな学びができるということでしょう。掃除は動的な瞑想だと思います。
 多くの市民から、ときには強いご意見やお叱りも受けます。それらに、真摯にかつ冷静的確に対応するには、まず「自己修養」が必要であり、さらにお互いに穏やかに話し合う必要を感じます。そのためには、人の心の荒みをなくす「掃除」の効用をますます感じております。

私の命題

 家庭の事情で、高校・大学時代と奨学金をもらい、東大在学中は学費免除を受けました。このご恩を世の中にお返ししたいと、ずっと思って生きてきました。
 NTTで身につけたITの技術と経営、母の教えと掃除で改めて気づいた謙虚な心、さらには佐久長聖での教育の経験、そして2年前からの松本市副市長。これら「産・官・学・金」を経験した者として、私の後半生の命題を考えています。
 今まで私は、自分がゴミを拾うことは考えていたものの、活動を広めていくことにはあまり関心を払っていませんでした。しかし、掃除の大きな力を知った今、他人に伝え活動を広げることが命題だととらえています。
 現在、長野県南部には、掃除に学ぶ会がありません。この拠点作りを目指します。鍵山相談役のおっしゃる「一人の百歩より百人の一歩」です。