掃除で開かれた私の半生(2)
定時制高校での掃除の試み
愛知県高校教師 安井 佑騎
2011年4月、失意のなか、横須賀中学校から愛知工業高校定時制に異動。私は「トイレ掃除」だけはしようと決めていました。出勤初日「この学校は、生徒もだけど職員も…」と聞きました。
(『便教会新聞』第93号編集)
一人で始める
2日目、人目を忍んでトイレ掃除を始めました。暴力、無関心などがはびこり、「どうせ俺なんか…」という生徒がたくさんいました。また教師も、自分の都合を優先する人もいるようでした。何ができるか悩みました。そんなとき、高野修滋先生から「無理されないで、静かに小さく続けましょう」とお葉書が届きました。とにかく一人でも続ける、その生き方がきっと伝わる、と励まされました。
授業前に校内を掃除し(写真は掃除の前後)、部活後はグランドを一人で整備しました。悔しくて何度もやめかけました。モヤモヤがたくさん残ったまま、2学期が始まりました。
鍵山先生からのアドバイス
転機が、前年までの勤務校横須賀中学校での便教会総会でした。鍵山相談役の隣の座席になりました。私が「定時制なので、いろんな生徒がいて」と話すと、鍵山先生は箸入れの裏に書いてくださいました。
「こうだったからこうなった」
「こうだったのにこうなれた」
「こうだったからこそこうなれた」
私は、自分が言い訳をしていたことに気づきました。「定時制だったからこそ…」という生き方をしようと決意しました。
ある日、同僚が生徒に「あの先生は、トイレ掃除が趣味らしいよ」と陰口を言っていました。怒りで爆発しそうになりましたが、一呼吸おくと収まりました。「掃除」のおかげでした。でも本音を言える仲間がほしいと思いました。
2年目、仲間ができ始める
「一人じゃ大変でしょ、手伝ったるわ」 野球部の1年生がグランド整備を手伝ってくれるようになりました。12月、同僚先生と2人で東北震災支援ボランティアに行きました。道中本音をぶつけあうと、心と心がつながりました。この日を境に、本音を言える仲間が増えていきました。
2年目のある日、職員室の女子トイレにイタズラされ、養護の先生に相談されました。「手伝おうか?」と言うと、「はい、お願いします」と。他の先生も「手伝おう」と。初めて仲間と一緒にトイレ掃除ができ、心がすっきりしました。なかでも、養護の先生は、鍵山先生の本を読んで涙を流すほど純粋な人で、このときも便器を磨きながら「すごい!すごい!」を連発しました。その後彼女は、女子トイレをときどき一人で掃除するようになりました。
10月、2人の先生を第12回便教会総会に誘いました。北村大輔先生の実践発表には、目からウロコが落ちました。「人には、許される範囲があります。その許された範囲でやり続けていく。すると、次第にその範囲が広がっていく」など、北村先生が鍵山先生からいただいた言葉でした。
「少ししか動けない自分の弱さ」を責めたこともありましたが、この言葉により、自分は「できる範囲を探して、やり続けていたのかも」という気持ちになりました。蓄えた力を、そのときに発揮できるよう、まず環境作りだと思って道具を揃えました。
修学旅行での生徒の事件
十数人の生徒が問題を起こしました。怒りが心を支配し、「定時制はこれだから…」と一旦思ったものの、「いやちがう!」、「定時制で指導になったからこそ反省し、大切なことに気づいた」にしよう、と思い直しました。
問題を起こした中心人物の3年生のA君(20)は、数年前まで地元を仕切っており、評判は良くありませんでした。しかし一番反省しているのも彼でした。純粋な目をしていました。前年「保育士になって、児童養護施設で働いて、恵まれない子を救いたい」と、作文に書いていました。
Aの指導では、北村先生の資料と鍵山先生の『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる』を、「興味があれば、読んでみて」といって、2時間以上彼を一人にしました。彼の感想文です。
「久しぶりに本と向き合った。たくさんのことを思った。自分は壁に当たると、いつも『俺は修羅場をくぐってきた。だからこんなことなんか目じゃない』と思っていた。しかし、その態度は『その壁から逃げていた』のだ、そのとき喜んだり傷ついたりすることが大切なんだと、教えられました。地元で威張ってきたけど、今の自分に何があるのかと考えると、やっぱり『逃げ続けていた』と気づきました。次に、『子どもは、自分のわがままを許すのに人のわがままは許さない。大人は、人のわがままを許す』と知りました。一番心に残ったのは、『苦しみはなるべく自分一人で背負い、人に打ち明けない』です。自分は一人で生きてきたと思っていましたが、今回は先生ら苦しむ人を増やしました。反省を込めて、心に残った言葉です。最後に、なぜ指導の最後が掃除かって思っていましたが、この本を読んでわかりました。キレイになったところに悪いヤツは来なくなる。掃除を真剣にやれば、自分もキレイになっていく気がするからです」
トイレ掃除に集う生徒たち
指導室を一緒に清掃していると、A(写真)が「それにしても素手で掃除するなんてすごいなぁ」と言いました。瞬間私は、「蓄えた力を発揮するとき!」とスイッチオン。「実は、俺もトイレ掃除やっているんだけど、見てみるか?」というと、「おう!見るわ」とAも興味津々。隣にいたBも、好奇心にあふれ、勝負! 3人分の道具をもって大便器に向かい、スポンジで軽く汚れを落とした後、スポンジで水を抜き始めた。
2人は、「うぁ~」「そこまでやるか」と声をあげ、強烈な臭いに鼻を塞いだ。私は、まるで餌をつけた釣り糸をたらすように。『こい!こい!』。すると、AもBも「よし、やるか!」と、磨き始めた。
翌日最後の奉仕で、「今日は、何やる?」と聞くと、他の3人が「最後だから俺らもAと一緒にやる」と言いました。Aはすごくすごく嬉しそうで、「本気で究極のトイレ掃除をする」という。他の先生も入り、教師2名と生徒4名のトイレ掃除が始まった。笑い声や「シャー、いぇーい、いい感じっしょ、おう」「次から俺はここでトイレする」「名残惜しい」などの威勢のいい声があふれました。
途中、養護の先生も見に来て「すごーい、抱きしめたい」と感動してAの肩を抱きしめた。(普段そんなことをする先生ではない)「トイレの神様」を熱唱する者も出て、みんなノリノリでした。道具を洗っている最中も何がおもしろいのか、「次、行きます」「めっちゃおもしろい」などと笑っていました。私の心のモヤモヤはなくなり、心が感動であふれました。この気持ちは、言葉で表現しきれません。
指導を終えたA君の感想です。
「修学旅行で十数人が指導になり、俺は自分の位置を知りました。年上のCさんやDさんを見て、俺もしっかりしないとダメだって思いました。先生たちが僕らをしっかり見てくれていることもわかり、確かな信頼を感じました。トイレ掃除に仲間が来てくれて、びっくりしました。先生方ありがとうございました」
私の決意
私は、結果重視の指導をしていました。うまくいかないときは他のせいにし、自分の弱さや未熟を認めず逃げていました。掃除に出会って「ただ身を低くして、実践すること」に気づき、子どもたちに話すときは、「はたして自分はできているか」と自問自答するようにもなりました。私の実践は始まったばかりです。 (つづく)
(484-0076愛知県犬山市橋爪地蔵下30-4)