トイレ磨いて大学合格
日本を美しくする会設立30周年記念『掃除道記念誌』の編集を進めております。
270名超のご寄稿のなか、掃除を通じた感動的な話もあります。その中から、記念誌には載らないエピソードをお伝えします。
今回は、「札幌掃除に学ぶ会」での、鍵山相談役のお考えが良くわかるお話です。お2人から聞きました。
「高校生トイレ掃除日本一」
札幌掃除に学ぶ会ホームページより
北海道 田村 匡
大関昌平君(当時高校2年)は、学校でフダ付きの「ワル生徒」でした。親は何とか大学に入ってくれればと願っても、本人にはまったくその気なし。
1996年9月札幌掃除に学ぶ会の第一回トイレ掃除例会、ご両親は会の発起人の一人として参加者を募りましたが、思うように集まりません。さらに、父親はその日仕事が入り途中退席予定になりました。
父親は、「おい昌平、お前お父さんと一緒にトイレ掃除しないか? お父さん途中でいなくなるかも知れないから頼む」と言うと、「わかった行くよ」という返事。
彼が参加すると、「体育会系」だけに体力は大人以上で、どんどんトイレを磨き上げました。周りのオジサン会員は、「スゲー!」「ワーッ」の声。取材に来ていた北海道新聞の記者も昌平君に注目して記事を書き、新聞に掲載されるや、学校の中で評価がガラリと変わりました。「昌平はやる時はやるんだ」 同級生は彼の存在を認めるようになりました。
そうなると、昌平君自身が変わり始めたのです。「俺はできる」 急に大学進学したくなりました。しかしそれまで、成績も悪いうえに何度も停学処分を受けていたことで、学校推薦はありえず、受験すら難しいというのが現実でした。それでも大学受験を諦めない昌平君は、3年生になる前の春休みに、父親に旅費をもらって全国の大学を訪ね歩きました。
しかしどこの大学も、「学校推薦がないと無理」という回答でした。失意の中で訪れた九州のある大学で、幹部が「うちは推薦がないと無理だが、大阪産業大学なら『一発芸入試』というのがあるよ」と教えました。
そこで、昌平君は自分の一発芸を、札幌までの帰り旅で必死に考えました。そして思いついたのが「トイレ掃除」です。両親は昌平君の決意を聞いて絶句しましたが、他に方法もないので、「息子のため!」と、札幌掃除に学ぶ会事務局長の私、田村匡に頼みました。
私は迷いました。「大学入試にトイレ掃除はどうなのか」と。しかし、親友の息子の一生がかかっている。思い切って、イエローハットの鍵山社長に電話で状況を話しました。「札幌掃除に学ぶ会ではインパクトは小さいので、鍵山さんに推薦状を書いていただけませんか? 趣旨から外れているのは承知の上でお願いします」
鍵山社長の答えは意外だった。「田村さん、我々の活動はそういう前途ある若者を育てることが一番の目的です。喜んで推薦状を書きましょう」
数日後、鍵山社長直筆の推薦状が届き、札幌掃除に学ぶ会代表世話人長沼昭夫と事務局長田村が作成した推薦状が昌平君の手に渡り、自身の思いを込めた「高校生トイレ掃除日本一」の申告書とともに大阪産業大学に届けられました。
結果は見事合格! 昌平君の成績では無理であっただろう大学のレベルにもかかわらず・・・。
昌平君は念願の大学に入り、それまでA~Zさえ言えなかった英語を含めて必死に努力し、4年で無事卒業し、そしてイギリスの有名大学院にきちんと英語受験で受かり、そこも2年間で優秀な成績で卒業しました。
彼はその後、大阪の有名企業に就職し、台湾の有名企業の娘さんと恋愛結婚し、子供も生まれ、いいお父さんとして活躍しています。トイレ掃除参加が、彼の人生を大きく変えました。
「トイレ磨いて大学合格」
北海道新聞1998・2・28付抜粋
札幌市の札幌工業高校3年、大関昌平君(18)が大阪産業大学の「自己推薦制度」で〝特技〟の掃除を活かして今春、工学部に入学する。同大では「何かに一生懸命打ち込んだエネルギーを持つ若者は、学業でも才能を伸ばせるはず」と期待している。
大阪産業大学の自己推薦制度は、文化やスポーツなど「一芸」に優れた人を、自己推薦書と面接、小論文で選考する。本年度は186人が応募し、83人が合格。腕自慢が居並ぶ中、大関君がアピールしたのは「トイレ掃除」だった。
大関君は、札幌市内の経営者らが1996年8月に結成した「札幌掃除に学ぶ会」の例会にほぼ毎回参加。小中学校のトイレを借り、便器はもちろん、床から換気扇まで徹底的に磨き上げ、仕事への意識改革につなげようという趣旨で、例会を開いている。
会発足間もないころ、父親の会社社長、範之さん(50)に頼まれて参加したのがきっかけ。当初はばからしいと思っていたが、「われを忘れて熱中できた」という。その魅力を自己推薦状に書き連ね、会の代表者に推薦状を頼んだ。昨年11月の面接試験では、「掃除の達成感は物をつくる喜びに似ている」と熱弁をふるった。
大関君が進学の希望を固めたのは昨年春。範之さんは「正直言うと驚いた。遊んでばかりで成績はさっぱり。入学できる大学も、本人にその気もない、と思っていた」という。しかし息子は夢を持っていた。「エンジニアになってF1をつくる。そのために大学で技術を勉強したい」
範之さんは息子を応援しようと決め、全国の大学を見学する旅を勧めた。
昌平君は、鹿児島で会った大学教授に、大阪産業大学に自己推薦制度があると教えられた。早速同大学を訪問、キャンパスも見て気に入ったという。偏差値で届かない大学だと思っていたが、大関君は受験を決意し、合格した。
「先生に無理だといわれた」志望大学に入った大関君は、しみじみ語る。「父が語っていた『夢は力』って本当なんだって」 隣で聞いていた父が、ほろりときた。
『掃除道記念誌』 抜粋
北海道 大関 範之
「私は会社の経営で、妻は実家の店の切り盛りで、寝るだけの毎日でした。子どもと話す時間もなく、次男の昌平は遊んでばかりでした。親の責任でした。
(…中略…)
さらに英国の大学院で学位を取得し、卒業式には家族でかけつけました。帰国後、昌平は「流体力学で仕事をしたい」と、外資の日本支社に入りました。あのとき磨いたのは、便器ではなく夢だったのです。
鍵山さん、夢を磨くチャンスをいただきありがとうございます。あのときの幸運の連鎖は今も続いています」
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大関範之様と田村匡様は、病床の鍵山相談役にぜひお礼を申し上げたいと申されて、本記事をまとめました。
『掃除道記念誌』はまもなく刊行されますが、このような感動的な話が多く載っています。
執筆者はもちろん、一般の方にも広くお読みいただきたく思います。
問合せ・お申込は本部まで。