掃除で開かれた私の半生(3)
4年目にミニ便教会を始める
愛知県高校教師 安井 佑騎
2011年愛知工業高校(定時制)に異動後、一人でひっそり掃除をしていた安井佑騎先生。年末に震災復興ボランティアで話ができる同僚ができ、2年目に、生徒指導でトイレ掃除をしたものの、まだ学校の中で自主的な活動をすることに踏み出せないでいました。
どのように「許される範囲」を広げていったのか、お聞きしました。
(『便教会新聞』第115号編集)
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県外で初めてトイレ掃除のリーダーをやらせてもらった際に、ベテランの方からもらった多くのアドバイスに戸惑い、否定されているように感じて、自信を失いました。
「二度とリーダーは、したくない」
未熟でした。打たれ弱く、傷つくのを恐れる自分でした。その後も職場で何もできず、状況は変わらない日々が続きました。
3年目、生徒指導担当
私に「許される範囲」も広がってきて、下駄箱や自転車置き場の整備、校内の点灯などの環境整備を始めました。8月、第13回便教会総会で野田紀世子先生は「一人でもいたら、やります」と、自主的なトイレ掃除を始めた実践発表をされました。大きな勇気をもらい、そのときは始めようと思いましたが、しばらく時間がたつと、やはり生徒に声をかけられません。情けなかったです。
「あと一歩が踏み出せない」
4年目、4月の異動で後輩に恵まれました。私が自転車を移動させたり、掃き掃除をしていると、手伝ってくれるようになりました。私1人でやっていた実践が、2人、3人、4人と広がっていきました。環境は整ってきており、あとは私が勇気をもって一歩踏み出すだけでした。
10月5日お掃除の会で、城東小学校の小山晃範先生が話されました。「自分の学校で掃除の会を始めたいが、一歩が踏み出せない」と。自分と重なっており、一緒に踏み出したいと思いました。
11月22日、第14回便教会総会で小山先生に話しかけました。「城東小学校でトイレ掃除、一緒にやりませんか? 小山先生と私の2人だけでもいいです」 小山先生は快諾し、実施日を決めました。
熊本便教会で決意が固まる
総会翌週の11月29日、第1回熊本便教会に高野修滋先生と参加しました。熊本便教会を立ち上げた眞田晴美先生の想いを聞きました。そして鍵山相談役から「私がお掃除をここでやめたら、この世に二度と私と同じような人は現われないだろう、という気持ちでやってきました」とお聞きして、鳥肌がたちました。高校野球の指導とお掃除は両立できるかなあと悩んでいた私は、背中を押されました。
さらに驚いたことは、高野先生が2年しかいなかった勤務校の教え子の大学生4人が、長崎から熊本に駆けつけてきたことです。その一人加藤亮輔君(写真、左端)は、「西尾を美しくする会」で今も活躍しています。(『清風掃々』第40号)
彼らに当時のことを聞くと、「高野先生にとにかく熱く勧められた」と言います。この高野先生の熱心な働きかけ、そして卒業後もお掃除で教え子と繋がっていると知って、私は感極まってしまいました。そして思わず「私も、定時制で自主的な働きかけをしようかな」と…頑固な尿石がポロっと取れたように口に出ました。
その瞬間、高野先生は全身を大きく輝かせ、すごい波動を放ちながら「是非、ぜひやると良いです」と。そのときの私はもう、4年前の中学校勤務時代に自信を失った私ではありませんでした。
ミニ便教会始まる
愛知に帰ってさっそく、下駄箱で目当ての生徒に「トイレ掃除やらない?」と声をかけました。すると、まさかの「いいよ!」。最初の一人での成功に驚き、すごく嬉しかったと同時に、気づいたことがあります。それは、私は声をかけもせずに、「定時制の生徒は一緒に掃除をしないだろう」と決めつけ、しかもそれは私の勝手なやらない理由だったろうということです。
12月19日、第一回愛知工業高校(定時制)便教会。「先生、トイレ掃除やろう」 職員室に私を呼びに来てくれました。定時制勤務4年目にして、3人の生徒と初めての自主的なトイレ掃除でした。12月14日には、小山先生の城東小学校でも便教会が始まりました。
私の心の変化を振り返る
小さな一歩ですが、さまざまな経験の末にたどり着いた一歩です。これまでのことを、今一度振り返ってみます。
生徒・保護者の信頼を失って、失意の中にいた中学校から、愛知工業高校(定時制)に異動したのが2011年、私は「トイレ掃除」をしようと決めていました。最初は人目をしのぶように一人でしていました。年末に震災復興ボランティアで、本音を言える仲間ができました。
2年目、問題を起こした生徒の指導にトイレ掃除をしました。
3年目、手伝ってくれる同僚が増えましたが、しかしあと一歩が踏み出せません。
4年目、後輩も入り手伝ってくれる先生が増えました。同じ悩みを抱えている他校の小山先生に一緒にやろうと声をかけ、その直後の熊本の地でやっと決意が固まりました。
この間、私にとって「便教会総会」は本当に大きな意味がありました。鍵山相談役の大きな一言、高野先生の現場を知る適切な助言、そして先生方の「実践発表」からの多くのヒント。これらのアドバイスと励ましをいただいて、私は自信を得ました。ところが、職場に帰ると「一歩が踏み出せない」自分に戻るのです。そのくり返しでした。
しかしながら、少しずつ少しずつ、私は変わっていました。そしてついに12月19日、念願の自主的なミニ便教会ができたのです。
便器の汚れと自分の課題
便器の汚れは、時間をかけてこびりついたものです。勇気を出して、一番の汚れに向き合うと覚悟を決め、何回も何回も磨く、磨き続ける。すると、そこがきれいになる。一番汚れていた所が一番きれいになる。すると、周りの汚れへの取り組みが楽になる。
そうして「きれいを広げる」と、どんどん夢中になる。いつの間にか、自分の心の奥底の汚れも取れている。今まであんなに悩んでいたことが、何でもなかったような気になる。
とにかく、一番嫌で難しい問題に対して一歩踏み出す。無視されても批判されても、自分に「許された範囲」で何回も何回も努力する。すると、解決の糸口が見えてくる。これがトイレ掃除の魅力です。
私は以前、目の前の一人の子どもを大切にできていませんでした。しかし一人の子どもに声をかけると、その子は私を受け止めてくれました。一人の子どもに救われたのです。「目の前のたった一人の子どもを大切にする」 これこそ、教育の原点ではないかと思います。
定時制に残ると決める
勤務が4年になり、異動の時期が近づいていました。私は高校野球の指導がしたいために、全日制高校への希望を出していました。
年末高野ご夫妻と台湾に旅行に出かけ、先生とも話し合って考えた末に、気持ちが変わりました。
「もう1年定時制に残りたい」
教頭に国際電話をかけ、異動希望を取り下げました。結局定時制には、7年間勤めました。(つづく)
(484-0076愛知県犬山市橋爪地蔵下30-4)