特 集

ここ姫路から「一燈」を掲げる 「座学」と「実践」両輪の学び

兵庫県 渡邊 雅人

 「一燈を掲げて暗夜を行く。
 暗夜を憂うることなかれ。
 ただ一燈を頼め」
 幕末の儒学者佐藤一斎の言葉に心動かされた4人の教員*がいる。彼らは自らの人間性を磨き高めるために、2020年9月勉強会「姫路一燈を掲げる会」を結成した。
 2021年7月には「掃除に学ぶ会」を立ち上げ、「座学」と「実践」両輪の学びをしている。始めて間もないが、姫路市にともった「一燈」に集った仲間の活動レポートです。
*渡邊雅人(45)、上野裕哉(45) 
 埴岡亮人(45)、宮薗貴至(43)

「一燈会」3つの特徴
 発起人の一人上野氏の見解…
①「学びの機会」
 毎回2〜3人が、交替でプレゼンします。これが実に刺激的で勉強になります。テーマが広く、参加者が意見交換する深い学びになります。
 テーマは、「書く力を高める」「SDGsとは」「英語模擬授業」「子供会・PTAのあり方」「1分間自己紹介」「ストレス対処法」「プロジェクトXのテーマ」など、まじめなものから社会問題、趣味的なものまで、さまざまなものがあります。
②「アウトプットの機会」
 何回か講師を務めましたが、約30分、他人にわかるプレゼンをするには、「学び直す」必要があります。「わかっていたつもり」でも、それを文字にし、言葉で、他人に伝えるとなると、自分の知識のあいまいを明らかにしなければなりません。骨は折れますが、「学び直す」絶好の機会になっています。
③「多様な仲間との交流」
 参加者は、校種や職場・教科・世代などがさまざまです。職場が違うと、知らないことやわからないことが多くあります。教育委員会にいる私にとって、現場の声を聞ける貴重な機会です。「子どもに力をつけたい」「姫路の教育を前進させたい」 月に1回、仲間と交流できる機会があることは幸せなことです。

参加者の声
 参加は10人前後。会終了後1週間をめどに、感想を西山琢編集長に送り、彼が会報『道しるべ』にまとめます。
〇元気な挨拶、笑い声などで、いつも雰囲気がいい。これだけでも来てよかった。
○自分にない魅力を持つ先生方の話が聞け、本当に良い学びになる。
○熱い同志の集まりは、仕事のモチベーションになる。
○この会で学んでいるのは、「方法論」ではなく「生き方」だ。これを求めている人は多くいるのでは。
○気兼ねなく思いっきり話せる。


私自身を振り返る
 私渡邊は1977年生まれの45歳、人が好きで人に何かを教えるのが好きで、教員になりました。
 2005年、初任の岡山県倉敷市の中学校、私は目立ちたがりでええかっこしいの教員でした。掃除は生徒にやらせるものだと思い込み、自分はせずに時間が過ぎるのを待っていました。部活や学校行事、活発な生徒の相手をして、仕事をしていると勘違いしていました。
 翌年の冬、勤務校で「岡山掃除に学ぶ会」(小西敏之氏代表)による「トイレ掃除の会」が開催されました。部活の生徒が参加するので、しぶしぶ参加しました。こごえる寒さの中、誰もが嫌がるトイレ掃除を、すごく明るく、素手素足で掃除する人たちを見て驚きました。そしてトイレ掃除が終わったとき、爽快感を感じている自分にも驚きました。鍵山秀三郎氏のお名前も知りました。ただ、トイレ掃除がいいとは感じても、それを仕事などに生かすまでにはいたりませんでした。
2つの出会い
 転機は姫路に帰郷した2009年。赴任校は地域との結びつきが強く、生徒とゴミ拾いを始めました。続けていると、これがボランティア表彰「兵庫県くすのき賞」を受賞し、新聞に載りました。それを読んだ「但馬掃除に学ぶ会」の西村徹先生から、連絡がありました。先生は東井義雄先生の教え子だと後で知りました。誘われるまま但馬に行くと、熱い志を持った多くの教員がいました。
 同じころ、当時の校長から「学校の外にも目を向けなさい」と言われて紹介されたのが月刊誌『致知』でした。そこには、熱い志をもつ各界の方がいました。
 この2つの出会いを通して、「世の中には、こんなに情熱にあふれた人たちがいる!」と驚くとともに感動し、2014年ころから『致知』を購読し始めました。
 2017年、「姫路教師木鶏クラブ」立ち上げの情報が入りました。代表世話人は三木英一先生!? 高校時代の校長先生で、しかも木鶏クラブ全国代表世話人でもありました。私の両親も三木先生をよく知っていて、ともに深く尊敬していました。
 生涯現役、80歳を越えても意衰えず、学びを追求する三木先生はまぶしく、三木先生と『致知』に学ぶなかで、私は人間学を通して、自分を高め磨く必要性を強烈に感じました。
 そのうち、読書や木鶏クラブに参加するだけでは何か足らないと感じるようになりました。ゴミ拾いのもう一段上はないか。かつての「トイレ掃除」が頭をよぎりました。
トイレ掃除と再会
 ときは来ました。2019年秋、人間学を学ぶ「播磨人間フォーラム」の懇親会で、「播磨掃除に学ぶ会」の木南一志さんに会ったのです。
 木南さんは、長く鍵山相談役に学んでこられたと聞き、岡山時代の記憶がよみがえり、この人だ! と直感しました。すぐに播磨の会に参加しました。読書と掃除、理論と実践の両輪で自分を磨く日々が始まりました。軽薄教員だった私にとって、トイレ掃除という下座行にはとても大きな学びがありました。
教員にトイレ掃除を広める決意
 2021年、木南さんに便教会の高野修滋先生を紹介され、ハガキ交流を始めました。トイレ掃除会を姫路でもやりたいと、木南さんに指導をお願いし、7月荒川小学校で第1回実施。8月便教会総会初参加、高野先生の熱い志に大きな刺激を受けました。
 11月大的中学校での2回目では、木南さんから「リーダーは先生がしてください」と言われました。これは、「教員にトイレ掃除を広める」という私の本気度を試されたのです。ハードルが一気に上がりましたが、引き下がるわけにはいきません。
 頼りないリーダーでしたが、大的中、2022年2月の四郷学院、7月の城陽小学校と実施できました。そして10月、以前の上司で、『致知』を勧めてくださった長谷川貴久先生が校長をされている山陽中学校で、5回目をおこないました。
 参加29名、半数以上が初参加でしたが、教員や播磨掃除に学ぶ会、市外・県外の応援の仲間の支えがありました。お陰さまで、激しい汚れのグラウンドトイレから溝掃除までみっちりやれました。最後の感想交流も清々しく、「よし、また次もやろう!」と思います。
 「ほんものは続く 続けるとほんものになる」 東井義雄先生の言葉を、木南さんから聞きました。トイレ掃除を続ければ「ほんもの」になれると信じて、これからも企画を続けます。そしてともに歩む同志を増やしたいと思います。


私の使命
 私は教育委員会で働いています。自分の未熟さを自覚し、読書と掃除の人間学に出会い、「未来を創る子どもの育成」に加え、「同じ志をもつ教師仲間を増やす」ことが私の使命と感じるようになりました。
 私は運がいいです。この素晴らしい日本という国に生を受け、不自由なく暮らしています。ここ姫路の地で、三木英一・木南一志という師に出会い、ともに磨き高め合う多くの仲間がいます。そしてその修養の場「姫路一燈を掲げる会」があります。
 この有難い恵みを社会のお役に立てたい。この姫路から一燈を掲げ、暗夜を歩こうとする「後からくる者」のあかりになろうと思います。
(670-0811兵庫県姫路市野里大日町364-4)

『掃除道記念誌』こぼれ話 七転び八起き 私の人生

兵庫県 白井 謙吾

 白井謙吾さんは、高校教師をめざす民間勤務の47歳。2021年教育実習で生徒に発したメッセージは、氏の半生をまとめたもので、生徒の心を大きく動かしました。それからの抜粋です。(編集室)

 私は1975年、大阪市で3人兄弟の末っ子に生まれました。当時は貧乏な家が多く、私の家もそうでした。7歳のときに、母がくも膜下出血で突然亡くなりました。3人の子どもを残された父は、毎晩仕事から帰ると涙声で「好美帰ったぞ」と、仏壇に手を合わせていました。
落ちこぼれた私
 父は、仕事と家事で私たちの面倒を見ることは到底できません。私の勉強は遅れ、九九の七段で学習が止まりました。どの先生も、落ちこぼれの私に手を差しのべることはありませんでした。
 自信のないまま中学3年になり、高校受験。当然かのように、公立も私立も不合格でした。夜間高校に行くか就職か迷いましたが、亡くなった母が「3人とも高校だけは出したい」と言っていたと父から聞き、通信制もあるビジネス専門学校に入学しました。入学時は10クラスでも、2年で7クラス、卒業時は5クラスに減るような、落ちこぼれが集まる学校でした。ここまでは流される人生でした。
自分の人生を送り始める
 この後、私は自分で人生をつくるようになりました。きっかけは、高校入学2か月後に働きだしたマクドナルドです。兄から「お前は勉強が出来ないから将来は乞食だ」と言われた私が、社会で働きお金を稼ぎ始めたのです。生きていける、と確信したのです。
 家は相変わらず貧乏で、通学の電車代やバイクの免許代、ローンやガソリン代などは、自分で稼がなければなりません。これが私にはラッキーでした。マクドナルド、ガソリンスタンド、写真現像、カラオケBOX、ゲームセンター、喫茶店、工事現場の資材整備、魚市場などで働きました。アルバイトはたくさんのことを教えてくれました。収入と支払い、停滞できないローンの焦り、そして良い先輩に出会えたり、ほめられたり、どなられたり、嘘をついて休んだり、これらすべてが良い経験になりました。
「自分は何がしたいのか」
 高校卒業後、警備会社に就職しました。梅田の放送会社で、多くの吉本芸人や俳優を見ました。仕事は退屈で、「自分は何がしたいのか」と、胃が痛むほど考えました。
 1年後、家の壁紙やカーペット張りなどをする内装職人になりました。1年が過ぎ、「ヨシこれで食っていくぞ」と決心した翌日、阪神淡路大震災が起きました。神戸東灘の会社は仕事ができなくなり、やむなく退職しました。ハローワークで災害復旧の日雇い労働の仕事を聞きました。そこで運命の仕事に出会ったのです。土木工事です。
 土木は「きつい・汚い・厳しい」3Kの仕事です。しかし私は、大きな建設機械が動くスケールに感動し、毎日が楽しくなりました。「なりたい自分」が、土木の工事現場にあったのです。

好きな土木、そして結婚
 21歳のとき、原因は不詳ですがサーフィンをした帰りに右肺に穴が開き(気胸)、緊急入院しました。この病院で、看護師だった現在の妻と知り合い、23歳で結婚。「生活のために、もう少し大きく安定した会社へ」と転職しました。そこでたくさんの資格を取りました。建設機械、クレーン、フォークリフト、船舶免許、国家規格3種類、基礎工事、水道工事、足場工事などです。九九の七段しかできなかった私が、好きな土木の勉強は出来ました。
 5年間の不妊治療の末、娘が誕生しました。仕事も家庭も充実していました。土木は楽しく「三度の飯より土木が好き」と言えるくらいに夢中でした。
 ある日、姉から「リストカットをした」と電話がありました。小学4年で母親を亡くした姉は明るい性格ですが、同性を早く亡くして心に不安を抱え苦しんでいました。それから6年、私は「これも経験だ」と、姉のうつに寄り添いました。姉は無事完治し、今は元気です。
「高校教師になる」と決める
 母が亡くなった37歳の命日の翌日、「今までは自分のために生きてきた」「これからは誰かのために残りの命と時間を使いたい」という思いが、湧きあがりました。
 それは、政治なのか? 福祉か? ボランティアか? いろいろと浮かびました。その結果、それは高校教師だという考えにたどり着きました。
 子育ての影響でしょうか、子どもの虐待やパワハラのニュースが気になるようになりました。社会のこれらの負の連鎖を止めたい。そのためには、社会に出る前の子どもを教育し、「善い親」が増えてほしい、そんな社会になってほしい。
 善い親を育てる教育をするために教師になる、自分のような落ちこぼれの子どもにも温かく寄り添う教師になりたい…。
 夜間高校の先生を目指すと決めたのは、40歳でした。そこで、大学に行き家族を養うことができるようにと、大きな企業に転職しました。そこで役に立ったのが、それまでの経験と資格です。20年間の土木の経験と、国家資格を含む32の資格です。過去の自分が私を助けてくれました。42歳で、大学通信教育課程に入学しました。
 少年犯罪被害者の会などでボランティアをしたり、学校の先生の集まりにも参加していると、夢はどんどん膨らんで、自分でも止められないほどになりました。仕事と家庭の両立、そして大学の単位取得という現実は厳しく、きついパワハラにも遭いました。しかし、決意が固まるといかなる困難もすべてが通過点でした。しんどいから諦めるという選択肢は一切なく、夢や目標が私を図太くしてくれました。

念願の教育実習
 2020年、大学3回生での念願の教育実習。その学校の卒業生ではないということや、コロナによる混乱で、18校から断られました。それは、「まともな高校を出ていない人間は教師になる資格はない」といわれているようで、涙が出ました。
 しかし、19校目に阪神地区の高校から承諾されました。教頭先生から電話があったときは、急いで誰もいない会議室に行き、大声で泣きました。人生捨てたもんじゃない。意味のないような日々を積み重ねることで、夢は少しずつ達成していく、人生は最高だと実感し、今教育実習に来ています。
 好きな言葉が2つあります。
 「逆境は人を強くする。理不尽は人を強靭にする」(ラグビー平尾誠二さんの言葉のアレンジ)
 「考え方が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わり、人格が変われば人生が変わる」(米国の心理学者ウィリアム・ジェイムズ)
 皆さんはまだ若い。偉くならなくてもいい、「なりたい自分」を見つけ、自分にしか歩めない人生を送ってください。過去は変えられないけど、未来は変えられる。
生徒の感想
〇学校ではじめて感動した。
○高校生活ではじめて泣いた。
〇私も先生になりたいけどどうすればいい?
〇通信制大学はどう行ける?
○作文の原本ください。

『掃除道記念誌』 抜粋
兵庫県  白井 謙吾
「…大学の通信教育課程を4年間受け、今年免許取得に挑戦しましたが失敗でした。順調にいかないのが僕の人生です。トイレ掃除をするたびに、子どものことを想像します。こびりついた尿石は、社会で冷え切った子どもの心ではないか。温かく時間をかけ、問題を取り除くしかない。そんな子どもに温かく寄り添う教師になりたい…」
(663-8114兵庫県西宮市甲子園1丁目5-34-601)

 まもなく発行(4月予定)されます『掃除道記念誌』には、このような話が多くあります。広くお読みいただきたいです。お問合せは本部まで。
 お申込の場合は、お名前・〒住所・TEL・冊数のご記入をお願いします。

A5版 約300頁
ハードカバー
2千円/冊(送料込)