ゴミゼロへの挑戦(2)
東京都 鈴木 武
『一日一センチの改革』致知出版社
一介の窓際社員だった鈴木武さん、会社の作業服切り替えで出た大量の旧服が「もったいない」と、スリランカに送ることに成功した。
これがパスポートになり、53(ゴミ)歳で、誰も関心を持たない環境部門に志願して異動。環境ISO発効にも後押しされて、大会社から出る大量の産業廃棄物を「ゴミ」から「資源化」することに挑戦した。
その成果がNHKで全国放送されると、全国から見学申し込みが殺到し、講演依頼も出てきた。
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忘れ物傘の利用
見学は会社業務ではないため、会議室手配からお茶出し、説明などすべて私一人で対応しました。
雨の日には、見学者に傘が必要ですが、会社に傘を買ってもらうことはできません。考えました。
私はボランティアで、地元目黒のスーパーでの忘れ物の傘を、学芸大学駅に〝返却無用〟で使えるコーナーを設けてもらっており、この傘を使うことにしたのです。
ゴミがテーマの見学会で、忘れ物の傘を再利用したのは、我ながらよい考えだと思います。「お好きなものをどうぞ。返却不要です」お金がないから出た知恵です。
分別ボックスの「高さ」
ちょっとした人間の心理を突くと効果を生むことがあります。
分別ボックスを直接床に置くと、従業員は分別してくれません。ところが、高さ1mくらいのテーブルに載せると(写真)、きちんと分別してくれるようになりました。通達ではなく、「仕掛け」を考えることで、分別精度が向上したのです。
掃除の人は、床に落ちている名刺を見て「紙屑が落ちている」と思うでしょう。しかしそれが机の上にあったら、「○○様の名刺」です。プリント基板でも紙ゴミでも同じで、それが置かれている高さによって、捨てる人の反応がまったく違ってくることが面白いです。
私は当時仕事に燃えていました。毎朝アイデアが次から次に浮かび、それをメモしていました。燃えれば燃えるほどひらめき、アイデアが出ました。意外に、知識のある人ほど考え込んでしまうような気がします。
「紙ゴミ」の縛り方
紙ゴミも、古紙5㎏からトイレットペーパー20ロールができる貴重な資源です。ところが、社内で「なぜ縛らなきゃいけないのか」と、強い抵抗の声が上がりました。
紙ゴミの縛り方一つにも、人柄が出ます。ひもを1回り、2回りさせ、申し訳程度に結び目をつけた、今にもほどけそうなものがあります。「面倒くさい、縛りたくない」「やればいいんだろう」という無言の抵抗がそこに感じられます。でも私は、これを面と向かって注意することはできませんでした。
そこで棚を、新聞、雑誌、上質紙の置き場に分け、それぞれに、ひもできちんと縛った紙ゴミのモデルをおきました。「こんなふうに縛ってください」というお手本です。
「きれい」「楽しい」が最大の力
分別物を片付ける担当者に、「一番きれいに縛ってあるものを残しておいてください。なかったらいいお手本をつくって置いてください」とお願いしました。それも、常に場所を移動するか、「お手本」を新しいものに変えてもらいました。担当者は応えてくれました。
すると、乱雑に置かれていた紙ゴミが、次第に整然と並ぶようになりました。従業員は、毎朝良いお手本を目にして、「あっ、みんなきちんとやってるな」と感じます。その景色が、従業員の意識を変えたのだと思います。
ゴミが片付いた後、私は毎日そこを一人で雑巾がけしました。従業員が朝一番で置きに来るときに、いつもきれいな状態であるように心がけました(写真)。
整理整頓が行き届き、ピカピカに掃除された置き場は、きれいで楽しく感じるもので、これが社内の抵抗に対する最大の力になったのではないかと思います。
「ゴミ置き場」の工夫
紙ゴミは各職場でまとめ、各工場棟の「分別コーナー」に、そして金属や木材、蛍光灯などは工場各所の「資源置き場」に集めます。
私は、廃棄物搬出の立会や指導、環境整備などで、約15万㎡の工場内を終日自転車で駆け回っていました。私は「分別コーナー」や「資源置き場」を、職場よりきれいにしたいと思いました。
まず「場所」です。工場奥の片隅にあった資源置き場を、正面玄関脇の役員駐車場の隣に移し、それまで外観が暗い色だったのを、明るいクリーム色に変えました(写真)。各建屋でも、置き場を玄関近くの階段下の死角などに置きました。来客などがある手前、これらはきれいに保たれました。
次が、前述した「整理整頓」が保たれる置き方の工夫です。
そして「清掃」です。私は毎日心を込めて掃除に打ち込み、置き場をピカピカにしました。さらにここに花を飾りました。百均で買った造花でしたが、殺風景だったコーナーがさわやかですがすがしくなったのには、私も驚きました。
みんな「職場より、資源置き場がきれいだ」と、気持ちよく足を運び、心がなごみ、分別や物を大事にする理解が進んだのではないかと思います。
後で考えると、この過程は「整理・整頓・清掃・清潔・躾」の〝5S〟のプロセスだと思いました。
社内の「ゴミ箱ゼロ」化達成
「ゴミ箱ゼロ」も大きな改革でした。この達成のために、「資源三原則」のスローガンを定めました。
「①ゴミを出しません ②職場にゴミ箱はありません ③ゴミという言葉はありません」
物がいったんゴミとして捨てられると、時間や人手をかけても良質の資源を得られませんし、コストもかさみます。そこで、ゴミの「発生を減らし」「分別の徹底」が効果的だという考え方です。
そのためには、会社中のゴミ箱を撤去することだと考えました。多くの仲間は、「それはむりだ、やめておけ」といいました。しかしこの作戦は見事成功しました。
会議室は、まず会議室Aのゴミ箱を、テスト的に撤去しました。1週間たっても一か月たっても誰からもクレームが来ない。これは、了解をもらったも同じだと解釈しました。こうやってゴミ箱を撤去した会議室を少しずつ増やし、ついに1年間で会社のすべての会議室のゴミ箱をなくせました。
各部署のゴミ箱については、文句を並べ立てて猛反対する人が多くいました。私はまず、女性社員と親しくなることを心がけました。
女性社員を味方に
まず、「ポスターを貼らせてほしい」と声をかけ、ひとまず退散します。次は別の掲示物を貼らせてもらい、ポスターの感想を聞いたり、花の話をしたり、何か話題を持参します。心が通じるようになると、「机の下にゴミ箱が2つあるけど、取れないかなあ」と相談します。するとほとんどの場合は、「任せといて、次までに私が取っておきます」と返事が来ます。
撤去が進まない部署では、女性社員に、生ごみリサイクルでできたキュウリやトマトを持って行ったこともあります。撤去が進んだ部署には、「おかげさまでこんな野菜ができました」と持って行きます。すると効果てきめん、明るい返事が返ってきます。
この運動は、会社の方針ではなく、私の考えで始めたものです。私はあくまでソフトに、反応の良いところから攻めていき、その結果、社内の「ゴミ箱ゼロ化」を達成できました。社内のゴミ箱をゼロにした会社は、おそらく松下通信工業が日本で初めてではないでしょうか。「時間を味方につけ」、少しずつ進めた地道な改革が実を結んだのだと思います。
全国から見学者が来られ、1998年3月には、鍵山相談役もおいでになりました。(つづく)