特 集

福岡掃除に学ぶ会30周年 森先生・帆足先生の遺志を継いで

2023年12月8日、『福岡掃除に学ぶ会30周年記念大会・第44回福岡実践人研修会』が開催されました。この日、博多駅早朝清掃は31年目に入りました。木南一志さんによる講演『論語と掃除』、JR九州博多駅の鐘ヶ江理恵駅長から感謝状贈呈の後、田中義人顧問による講話「30年の振り返り」がありました。
 教育哲学者森信三先生の教えを受けた、帆足行敏(ほあしゆくとし・下写真)先生が30年前に始めた、日本で最初の街頭清掃です。
(取材 編集室)

「紙屑は、その国の文化の象徴ですからね

 帆足先生が、寺田一清先生を通じて森先生と会ったのは1977年、森先生82歳、帆足先生47歳のときでした。その後森先生は3年連続で来福、それぞれ5泊6日で講演行脚をされました。その中で、衝撃的な出来事がありました。(月間「致知」1996年12月号)
 「福岡中洲の焼肉店に道友4名、師を囲んで夕食を共にした。師の食欲はわれわれを凌ぐものがあった。ビールは小さなコップで2杯程度お飲みになったようである。顔はやや赤み、にこにこ上機嫌であった。『ここらで那珂川辺でも散歩しましょうか』となった。午後7時、初夏の陽はまだ明るく吹く風は爽やかで心地よい。
 歩道の広くなったところにさしかかると、師は少し離れたところで、散らかっている紙屑を素手で拾い始めた。見渡す限り紙屑はつづいている。同伴の4名はしかたなく師に従った。さあ大変! 何時までかかるかわからない。恐る恐る勇気を振るい、『どうでしょう、限りがありませんが』とお尋ねした。すると『もうこれくらいでいいでしょう』と、ぽんぽんと軽く手を叩きながら、『紙屑は、その国の文化の象徴ですからね』といわれた。
 私には、紙屑はその『街』の文化の象徴、と聞こえて大変恥ずかしい思いがした。この『国』とはどこの場所に置き換えることもできる言葉と受けとめられた」(以上引用)  

    

中洲の繁華街と那珂川の夜景


森信三先生に師事する

 帆足先生が森信三先生を知ったのはその前年の1976年、46歳のときでした。そのときのことを次のように語っています。(同引用)
 「私が市教育委員会指導主事になった2年目に、ある高校長から『生を教育に求めて』という小冊子を読むように勧められた。この表題を見ただけで強く心がひかれ、急いでページをめくった。
 『学者にあらず、宗教者にあらず、はたまた教育者にあらず…』。実に不可思議に思い、緊張してさらに次のページをめくった。
・教育とは人生の生き方の種蒔きをすることである。
・教育とは流水に文字を書くような果てない業である。だが岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。
・教育は、何よりも教師自身が自己の『心願』を立てることから始まる。
 この言葉は本当に強烈に胸に響いた。その日は仕事がまったく手につかず、早めに帰宅して真剣に読んだ。大事と思われるところには朱線を引いた。再読を繰り返すうちに全文朱線に染まって真っ赤になり、一文字といえども見逃し得ない文章に驚いた。
 このときから、森先生への畏敬の念が強く、一刻も早く拝顔の栄に浴したいと心に決めた」

実践を通して教えた森先生

 「学校を訪問したときのこと。タクシーには『若い者が先に 年寄りは後からです』といわれた。校門の手前で降り、正面に立つと脱帽して深々と礼をされた。玄関までの途中にゴミがあれば拾われる。雑草が生えていると、『これは貧乏草といって、これが生えだすと必ず学校は乱れてきます。会社でいえば倒産です』といって、草取りを始められた。私どもも一緒に始めた。
 当時は学校教育とは無関係のように聞いたが、自分が校長になると、このようなことこそ極めて大切な学校経営の一つであることがよくわかった。
 太宰府天満宮をご案内したときのこと。多くの参拝者の中、師の姿が見えないので振り返った。すると赤ん坊連れの若夫婦がギターを弾き、唄っている前にじっと立ち止まって、聞き入っているではないか。師のことだから余程の芸人だろうと、私どもも静かに聞いた。
 曲が終わると師は帽子を脱いで頭を下げ、『しっかり頑張ってください。くれぐれも身体を大事に』とお金を渡された。そしてしばらくして、『今晩何処に泊まるんでしょう』と呟かれた。このように路傍の物乞いに、誰からとも気付かれずこっそり投げ銭しておられるのを私は何度か目撃した。今でも眼に焼きついている。
 森先生はこのように、あらゆる場面で、実践を通して多くのことを教えてくださった」(以上引用)

博多駅早朝清掃の立ち上げへ

 1990年帆足先生定年退職、1992年森先生逝去。森先生の衝撃の一言から15年、帆足先生はいよいよ動き始めます。
 「1995年ユニバーシアード福岡大会が決まりましたが、国際都市福岡は掛け声だけで、私たちには何ができるか考えました。そこで、福岡市をきれいな誇れる街にしたい、外国の方が多く集まる玄関口の博多駅を掃除しよう、という意見が出ました。しかし私たちの力はあまりにも小さすぎ、士気は上がらず絶望的でした。
 ところが『何にもせにゃ何にもないじゃないですか』という、Aさんの言葉には迫力がありました。その情熱からこの掃除は始まったのです」(「かがやき」25号編集)
 そして、掃除に学ぶ会との出会いがありました。

掃除に学ぶ会との出会い

 田中義人顧問は30周年記念大会の講話で、「博多駅早朝清掃は、故帆足行敏先生が森信三先生の教えを具現化した実践の場、街頭清掃の聖地です」と言われ、次のように続けました。
 1991年11月23日、私が大正村で鍵山相談役に出逢ったころ、森信三先生はご存命でした。寺田一清先生はじめ実践人の方々は、森先生の教えを具現化すべく行動していて、第一人者が帆足先生でした。相談役の掃除には、森先生の教えがベースにあったと思います。
 1993年5月の第1回福岡実践人研修会で、鍵山相談役と寺田先生が講演されました。10月、帆足先生と教え子の「八仙閣」社長が、当社の見学に来られました。
 11月7-8日、大正村で第1回掃除に学ぶ会発足。私も、11月20日の第2回福岡実践人研修会で話をしました。そしてその翌12月8日、帆足先生は博多駅早朝清掃を始められました。
 当時の博多駅はホームレスの方が多く、段ボールやゴミに溢れ、グレイチングも泥とゴミだらけでした。この玄関口を何とかしなければならないと、10名ほどで始めました。
 さて、帆足先生は、福岡商業高校の校長を最後に退任されましたが、森先生の教えを実践していくつかの学校を再建されました。先ず校長室から始め、次に職員室・・・人に指図するのではなく、ご自身の行動を通して周りに影響を与え、最後は先生方も参加して学校を再建されました。
 森信三先生の、博多中洲での「紙屑はその街の文化の象徴です」の言葉は、帆足先生の中にずっと残っており、これにご自身の学校再建の経験と鍵山相談役との出逢いが加わり、博多駅早朝清掃に繋がったと思われます。
 これが日本で最初の街頭清掃であり、その後名古屋や新宿、京都などに広がっていきました。森信三先生の教えを実践継続された帆足先生が始められたこの博多駅早朝清掃には、原点的な重みがあります。(以上 田中氏)

そして開始

 「開始は森先生がお亡くなりになられた翌年1993年12月8日。『ゴミ戦争に勝とう!』と、開戦の日としました。八日の八は末広がりの意。博多駅を選んだのは、九州の中心であり全国を結ぶ新幹線があること」(「かがやき」25号)
 スローガン「博多駅を日本一美しい駅にしよう」を掲げて、歴史が始まりました。       (つづく)

第222回 2014・5・8

【資料】
森信三先生 1896年(明治29)愛知県生まれ。1923年(大正12)京都大学哲学科入学、西田幾多郎先生に教えを受ける。天王寺師範の専攻科講師。1939年(昭和14)旧満州の建国大学教授、敗戦により生還、1953年(昭和28)神戸大学教育学部教授、その後神戸海星女子学院大学教授。1975年「実践人の家」建設。1992年(平成4)逝去。
帆足行敏先生 1930年(昭和5)大分県生まれ。1953年福岡商科大学(現・福岡大学)卒業。炭鉱会社に採用、肺を病み退職、大濠高等学校教諭に。福岡市教育委員会指導主事、高校長歴任。1990年定年退職。「実践人の家」副理事長、福岡掃除に学ぶ会代表世話人、福岡実践人代表理事。2017年6月26日逝去。

実践+学び+若者育成10年 地域の中核人材をめざして

石川県金沢市 謙学会

 「社会的知識や基本的なマナーを身につけ、企業の持続的成長の一翼を担う人材を育成する」を掲げ、謙虚さと集団再建三原則*を学ぶ「謙学会」が10周年を迎えた。
*時を守り、場を浄め、礼を正す
(取材 編集室)


謙学会とは
 社会貢献活動と各種プログラムを組み合わせ、「①心の荒みをなくす②道徳心の向上を図る③チャレンジ精神を養う」人間力や、相互尊重の精神を身につけた人材を育てることを目的とします。
 毎月原則(第2)土曜、午前中トイレ掃除、午後座学と体験発表・交流会が、基本です。


カリキュラム
○社会貢献−トイレ掃除
 金沢市管理の、各所の公衆トイレを掃除します。その他、「日本を美しくする会」の学校トイレ掃除などにリーダーとして参加し、リーダーシップも学びます。
○座学
 さまざまなものが用意されており、毎回2~3件学びます。
(講話)「掃除道」などについて、塾長や経営者の話など
(読書感想)月刊「致知」の感想文を書き、発表する
(DVD視聴)「てんびんの詩」「奇跡のリンゴ」「プロジェクトX」など
(マインドマップ) 思考の整理や記録
(SDGs) 環境、経済、社会の調和の理解
(交流分析) 人間関係の分析
(プレゼン) (上写真)
(座禅) 東光山大乘寺
(グループ討議)


謙学会の歴史
 石川掃除に学ぶ会の前代表世話人市山勉氏(67)の発起によります。市山氏は、掘削工事から成分分析書発行まで行える温泉企業、㈱エオネックスの経営者。
 1996年鍵山秀三郎著『日々これ掃除』を読んで感銘を受け、毎朝会社のトイレ掃除を始めます。
 1999年、イエローハット金沢営業所と本社でトイレ掃除研修
 2003年金沢掃除に学ぶ会を発足し代表世話人に。
 市山氏は自ら研修などを受け、良かったものを社員にも勧め、会社に導入してきて、それが会社の風土にもなっているそうです。
 「(心を養う)掃除は大事な実践ですが、社会・会社においては技術スキルも大事です」
 関連企業や地元活性化に力を入れており、自社とグループ企業に加え、地域の人材育成のために、2013年「謙学会」発足、塾長。
 知り合いの社長に話したところ賛同を得て、「エオネックス」「土質屋北陸」「設備職人」「米沢電気工事」「日産プリンス金沢」などの企業が研修生を出してスタートしました。
 初年度は、倫理法人会の早朝講話と別日にトイレ掃除などをおこない、前者が48回、後者が20回。2年目以降これらを1日にまとめた現在のカリキュラムにしました。


謙学会10年の歩み
 2013年の発足以来、研修生総数は178名。講師は、地元の多彩な専門家や各社社長に頼んで、予算は抑えています。
 以下運営側の皆さまの話です。
市山勉相談役
「初期卒業生の多くは、今店長クラス以上になって活躍しています」
「金沢のほとんどの学校でトイレ掃除をおこなってきて、子どもの教育や人の交流で大きな効果が出てきたと思うが、働き方改革やコロナで活動が難しくなっています」
「せめて謙学会では続けていますし、また金沢(現・石川)掃除に学ぶ会は、メンバー会社が地区の公園の清掃を受け持つ『公園里親制度』を市と合意しています」「私も後輩が育ってきて、掃除に学ぶ会は森川氏に、謙学会は北田氏に移譲しました」


北田展之氏 今期塾長就任
「私自身第1期生です。市山社長と10年やってきて、昨年塾長のお話が来たときには、喜んでやらせていただきますとお答えしました」「送り出した会社の社長さんのご意向もお聞きして、事務局5名はカリキュラムを毎期工夫改善しています」「研修生のモチベーション維持に気を遣っています」
森川和重副塾長
「事務局はボランティアですが、みな進んで参加しています。その日が来るのが楽しみです。それは、若い人を育てる〝やりがい〟があるからだと思います」「研修生は、期の始めと最後では全然違って大きく成長します。1年12回続けることに意味があります」


第10期参加報告
 □2月10日(土) 9~19時
 □プログラム 次頁
 □研修生 12名


研修生の感想
・当初便器に直接手を入れることに抵抗があったが、いまは当然のこととして取り組めている。「公共の場所を清潔に保つ」や「心を磨く」重要性を改めて認識した。
・読書を通じて知識を広げ、自己の中心に哲学的視点を持つことは、充実した人生を築く重要な要素だと学んだ。これらを、日常業務のより良いサービスや人間関係構築のために実践していきたい。
・謙学会では「読む・書く・聴く・伝える」を学んできた。今回のプレゼン大学では、効果的に伝える重要性と手法を学んだ。得た学びを十分活かし、「三方よし」を基本に、信念をもって仕事に取り組みたい。


【編集後記】
 「実践」と「学び」の両方を地域の「人材育成」に結びつけ、システマチックにおこなっている会は珍しい。
 今回、研修生はトイレ掃除では、無駄口なく自ら進んで動いていた。
 座学は「プレゼン」。営業などでいかに相手を引き付け説得するかの実地想定訓練に懸命に取り組んでいた。討議も、しっかり自分の意見を話していた。今期10回目、森川副塾長の「1年を通じておこなう研修の意味がある」のだろう。
 すばらしい活動であり、このような会が各地にできればと思いつつ取材しました。

総会第2部参加者数
訂正とお詫び

 総会第2部は、皆様に会の活動を知っていただく大切な場であり、また関心度も伺える公式数字です。
 このようなミスが起きた理由は不明ですが、以後十分注意します。
 訂正とお詫びを申し上げます。