ゴミ削減プロジェクト「横浜G30」
行政主導によるゴミ削減
参議院議員 中田 宏
本誌で個人や会社、学校などの活動を取り上げていますが、社会の範として大きな力のある政治や行政による活動は多くありません。
「国会掃除に学ぶ会」をお伝えしていましたが、このたび行政による事例として、ゴミ削減に挑戦した横浜市のプロジェクト「横浜G30」について、これを主導した中田宏氏に連載で書いていただきます。
(編集室)
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相談役の教えにより、政治の世界で自らを律せています
現在、私は参議院議員を務めていますが、これまで衆議院議員、横浜市長を務めて参りました。
決して清らかとはいえない政治の世界に30年に亘って身をおく間、日本を美しくする会の皆さまと掃除に多くを学ばせていただきました。経済、教育、安全保障をはじめ、改めなければいけないわが国の現状は数多くありますが、そのすべてに、根本に宿る日本人の精神と生き方が問われていると考えます。日本人として鍵山秀三郎相談役の生き様に学び、行動することが解だと考えます。
権謀術数渦巻く政治の世界では、よほど意識して自らを律していなければ、知らぬ間に篭絡されてしまいます。私自身は、鍵山相談役から賜ったご指導と学びがあったからこそ、政治の世界で道を踏み外さずに行動してくることができたと強く思い、心から感謝ばかりです。
衝撃のトイレ掃除
鍵山秀三郎相談役と初めてお会いしたのは、今から36年前のことです。当時24歳の私は松下政経塾の塾生でした。「政治を正さなければ日本は良くならない」と考えた松下幸之助塾主が創設した私塾が、松下政経塾です。
入塾初年度の塾生は寮生活で、毎朝5時50分に起床し、6時からラジオ体操と塾内外の掃除をするのが1日の始まりでした。「身の回りの掃除もできへん人に世の中の掃除はできへん」という、松下塾主の考えが基本にあります。
私にとっては決まり事だからやっていただけの掃除にも、気付きはありました。葉が落ちるのは秋だと勝手に思い込んでいたのに、塾内の多くの木々からは、春も夏もなく葉は一年中落ちてくるという当たり前のことに気づかされました。
1989年(平成元)の秋、講師に鍵山相談役をお迎えしたときのことです。講義もそこそこに「それでは始めましょう」と言って、相談役は我々塾生をトイレに引率し、靴と靴下を脱ぎました。衝撃の掃除の始まりでした。掃除をするとは聞いていなかったし、ましてや〝あの掃除〟をする心の準備もありません。言われるままに初めて小便器の水濾しを手に取り、便器に素手を突っ込み、腰が引けたまま床に手をつきました。
見様見真似でやっただけでしたが、掃除に学ぶという意味を初めて知りました。上から下へと掃除していくこと、雑巾に絞り方があること、床の水の集め方など、ただやるのか、考えてやるのかは大きな違いです。その一つ一つに意味があり、それは人が時間やモノを活かしていくために考え抜かれた行動です。
政経塾では茶道も学びますが、お点前には多くの細かな作法があります。そのすべては客人をもてなし、美味しくお茶を淹れるために、先人が試行錯誤を経て突きつめた結果の道と言えます。鍵山相談役の掃除はまさに道だと感じました。
「エリート」の真の意味
この日、我々同期塾生14人は鍵山相談役から1冊の本をいただきました。生涯の座右の書となる『オルテガ』(中公新書)です。衝撃の掃除体験があったからこそ、その方からいただいた本を読まなければならない、読後感をもってお礼を伝えなければならないと考え、その日の晩から読み始めました。ところが、実に難解な本なのです。
わからないままページだけをめくり続けて1週間、ある日この一文に出会いました。
「エリートとは断れば断ることのできる社会的責務をあえて受諾する者のことである。自らに求めること多く、自らの上に義務を積み重ねる者のことである」。またも衝撃を受けました。
一流といわれる学校に合格し、一流といわれる会社に入り、世で出世していく人のことをエリートと理解していましたが、オルテガの言う本来のエリートの意味はまったく違うものでした。皆にとって必要なことだが、人が嫌がること、自分がやらなくても責められないこと、そこに自ら進んで役割を果たすのがエリートだと言うのです。政経塾で学ぶ自分は、「オルテガの言うエリートの生き方をしていきたい」、そう書いて鍵山相談役にお礼状を出しました。
衝撃はまだ続きます。賜ったご指導にお礼を伝えたのは私なのに、すぐに相談役からお手紙をいただいたのです。それ以降、また私が手紙を書く、また手紙をいただく、文通というような月日が続きました。やがて、ローヤル(現イエローハット)の朝の掃除にお誘いいただき、後の日本を美しくする会の方々と掃除に学ぶ機会を多くいただくことになります。
社会の本質「ゴミ」
当時、私は松下政経塾でゴミの研究に勤しんでいました。ゴミを出さずに生きている人は一人もおらず、ゴミに社会の本質が詰まっていると考えていたからです。
メーカーは、製品がゴミになることを考えた製品開発や製造をしていません。流通会社、販売会社は、売れ筋のモノは知っていても、使い終わってゴミになった後のことは知りません。国民・消費者は、見た目に美しく値段と利便性から自己欲求のままにモノを買い求めますが、ゴミを出すことに関心を持っていません。そして市町村は、出たゴミを収集し焼却することに懸命ですが、常に後追いでやりきれなくなっていました。
「作って使って捨てる」が漫然とくり返されている我が社会は、いずれの主体も無責任なままでした。
そもそも国(厚生労働省)の方針は、ゴミを燃やして埋めることを第一とし、再利用・再資源化は劣後です。ゴミが増え続けるなか、市町村の処理にかかる税支出は増え、埋め立て地造成には必ず反対され、困難を極めている…。
資源が乏しいわが国のあり方として大いに疑問ですが、何よりも私は、モノを大切にする気持ちが一層失われていくことに強い危機感を持ちました。
「ゴミ」を研究する
私は全国のゴミ処理施設を回り、住み込みでゴミの処理・処分の実態を研究していました。兵庫県西宮市、北海道千歳市、佐賀県多久市などでゴミ収集車に乗り、中間処理施設で働きました。それはすさまじい現場です。
無造作に捨てられたゴミの中から、包丁や注射器、紙おむつなど、あらゆるモノが出てきます。注射針が指に刺さったこともあり、紙おむつの汚物は顔に飛び散りました。分別ルールが守られていないゴミの多さに閉口しました。まさにきつい、危険、汚いの3K職場です。
ゴミの焼却量と埋め立て量を減らすには、再利用・再資源化を増やしていく必要があると強く感じました。もちろん、環境に優しい生活をしたいと考える国民も多くいるはずですが、市町村のゴミ出しルールに従うしかありません。この時期にゴミの現場に埋もれ、思考・立論したことが、15年後の横浜市のG30*に繋がります。 (つづく)
*G30
2005年(平成17)から導入された横浜市のゴミ処理システム。ゴミを30%削減する目標を立て、15品目に分類して再資源化を徹底した。大都市をはじめ日本の一般廃棄物(家庭から出るゴミ)の処理・処分システムの大転換に繋がった。
西宮市中間処理施設にて 1990・6・7