貝塚市立第四中学校三年 津田ひとみ
今まで味わったことのない達成感。私の心が輝いた瞬間でした。
学校のトイレと聞くと、誰もがあの臭い汚れた便器が頭をよぎると思います。私もそうでした。便器を素手で磨くなんて、絶対に考えられない・・・・。その光景を見た時に受けた衝撃は、言葉に言い表せないものでした。
昨年九月、私達の学校に「泉州掃除に学ぶ会」の方々が来て下さいました。私達四中の生徒と一緒にトイレを掃除する。その活動に私も参加しました。それまでも、学童保育、老人ホーム、障害者の施設など様々な場所でボランティア活動に意欲的に参加してきました。そのたびに「ありがとう」と感謝される、温かい笑顔に包まれる事がうれしくて・・・・・・。
以前の私は、完璧主義者でした。何でもできる良い子と思われたくて必死でした。私がそんな風に思うようになったキッカケ――それは小学生の時、両親が別々に住む事になりました。私にとって父のいない寂しさより、毎日働き続けている母の姿を見る苦しみの方が何倍も大きいものでした。何もできない幼い自分のもどかしさ・・・・・・。忙しい生活の中で、常に笑顔を絶やさなかった母が初めて流した涙。今でも目に焼きついています。
その時決心したのです。「良い子になろう」と。「お母さんに喜んでもらいたい」。小さな心に芽生えた大きな想いでした。
やりたくない事でも、周りの人が見ているからやる。人の目ばかり気にする日々。いつの間にか建前だけの私と本心の私、二人の私を使い分けるようになり、「良い子」を演じるようになっていきました。その方が楽だし、周りも認めてくれる。純粋に母を思いやる気持ちが間違った方向に進んでしまっている事にまだ私は気づいていなかったのです。
そんな私が、荒れていると噂の四中に入学しました。この学校では、生徒会を中心に学校を良くする為という目標を持ち、様々な取り組みを行っていました。良い子でいたい私はそんな活動にも積極的に参加しました。でも、心の中では「何で私が掃除なんか・・・・・」「しんどい」「面倒くさい」と、もう一人の私が囁いていました。上辺だけの心が入っていない活動を続けていました。
そんな時出会ったのが、学ぶ会の方々。何のためらいもなく、汚れた便器を素手で磨き始めたのです。一瞬鳥肌がたちました。
「何でそこまでして……」その時、私の中で何かが音をたてて崩れていくのを感じました。
何の見返りも期待せず、無償の想いでひたすら便器を磨く人々。自分の価値観のちっぽけさを思い知らされました。
私が今まで大切にしてきたことって何だったんだろう。他人に良く見られたい。その為に本当の自分を抑えてきた。ウソで塗り固められた空っぽな人間。私は良い子なんかじゃない。掃除だって好きじゃない。
私は弱い人間なんだ。
――今まで心の奥に閉じ込めていた感情が一気に溢れ出してきました。「変わりたい・・・心の底から頑張れる私に」。そう強く思いました。そして、おそるおそる、自らの手を便器に突っ込んでみる・・・・すると不思議な事に抵抗感は薄れていき、逆にきれいにしたい一心で夢中になって磨き続けている自分に気づいたのです。
みるみる内に清潔感の漂う真っ白なトイレに大変身。充実感で胸がいっぱいになりました。私自身の汚れた部分もこの便器の汚れとともに、洗い流されたような気がしました。自分の殻を破り、一歩大きく成長することができました。
今ではすっかり当たり前になったクリーン作戦。やるたびに皆の達成感に満ち溢れた笑顔が輝いています。この輝きが波紋のように広がっていき学校や社会をも変えていく大きな力になっていきます。
自分の心を磨くクリーン作戦。
二十年後の後輩達の為にも、伝統として繋いでいくことが私の使命なのです。
(月刊『致知』 2007年2月号)
鍵山相談役のことば
見事な文章です。発表する態度も自然であり、且つ堂々としていて敬服しました。大阪大会最優秀賞受賞にふさわしい内容です。『致知』を愛読しておられる皆様に、新春の明るい話題として紹介させていただきました。第四中からは他にも高塚いずみさんなど、津田さんに匹敵する少年少女が現れています。
このように輝く少年少女が第四中からなぜ誕生するのかは、先生方にお会いしてよく分かりました。至誠を備えた指導者の下には優れた生徒が生まれることに納得しました。津田さんを指導された川崎雅也先生は、朝早くに登校して、百三十人もの生徒さんの日誌に朱を入れておられるとのことで、頭が下がりました。
日本を美しくする会の活動を通して、全国には素晴らしい先生方が大勢いらっしゃることを知り、嬉しく思っております。