教育と掃除

一冊の本との出会いが
私の人生を変えた(1)

鍵山相談役の訓え
元山口県公立高校校長 佐古 利南

 佐古利南先生(82)は、鍵山相談役の本に出合って掃除を知り、その後教育困難校の校長として赴任。学校の荒れに対して掃除を取り入れ、学校は立ち直り、4年後生徒や地域から感謝されて定年退職を迎えました。
(2024・1・27鍵山教師塾in伊勢の講話に加筆)       (編集 編集室) 

目に飛び込んできた一冊の本
 私は山口県の公立高校の進学校で教員をしており、当時は教頭でした。進学校でもゴミ箱は一杯、靴は脱ぎっぱなし…今は違うでしょうが、学校で一番汚いところは職員室で、先生方の机の下はほこりだらけでした。私はこれを何とかしたいと思っていました。
 1995年ころのことです。本屋に入るとある本が目に飛び込んできました。鍵山相談役の『日々これ掃除』(学習研究社)でした。


 その本を読んで驚きました。鍵山相談役は人々の無理解の中、ただひたすら掃除を続けられた。それは、「人の荒む心をなくしたい、荒む心を和らげたい」との思いからだというのです。つまり「場の浄化が人の心をやさしくする」というのです。これは私には新鮮な驚きでした。それを「会社でただ一人10年間トイレ掃除を続けた」というのです。私はそれまで、人には言っても自分ではしない評論家でした。
 この本によって、私の人生は一変しました。朝早く学校に行き、一人で掃除して歩きました。特に職員室では机の下のほこりを掃除機で除去、喫煙室では吸い殻などの徹底した掃除を始めました。しかし、これは先生方には嫌味だったでしょうね。(笑) それでもやり続けました。
 私は相談役に手紙を書きました。するとすぐに返書と共に多くの本が送られてきました。私は相談役を見習い本格的なトイレ掃除をしてみたいと思いました。
 1998年(平成10)、A市のB高に校長として異動しました。そこは教育困難校。どうしていいのかわかりませんでしたが、徹底した掃除が一つの鍵になるのではと思いました。そのA市には「掃除に学ぶ会」があり、徹底したトイレ掃除を教えてもらいました。

破壊との格闘
 4月着任して、その荒れように大変ショックを受けました。いたるところが壊されていました。事務室に修理を依頼しましたが、断られました。「修理してもすぐ壊されるので意味がない」というのです。
 生徒らの登校前に、掃除道具とゴミ袋を持って校内を巡回しました。教室の壁紙は剥がれおち、天井からは垂れ下がっていました。出入口の引き戸のゴムクッションは、例外なく刃物でズタズタにされていました。こんな環境にいれば、生徒の心は荒むはずだと思いました。
 早目に手を打てば、これほど教室が荒らされることもなかっただろうと。そして、こんな状態を放置しておくわけにはいかないと思いました。小さな破壊も許さない「割れた窓」理論*ですね。
 ドアクッションは直ちに取りかえ、壁紙は予算がないため糊を買い、夏休みに全教室のはがれた貼り紙を補修していきました。掃除道具置場やロッカー破損も修繕しました。しかしやってもやっても破られるいたちごっこでした。
 事務室はさじを投げていましたが、私は校長室に用具を備え、直ちに補修しました。やがて破壊活動はほとんどなくなりました。喫煙行為も吸い殻を徹底して拾い、喫煙の形跡を消すことで、姿を消していきました。
ルーズソックスの扱い
 着任早々、職員会議の直前に教頭から議題「ルーズソックス全面禁止」を聞き、驚きました。こんな重大な問題を校長に一言も相談せず提案するのです。案の定、賛否真っ二つとなりました。結局「実施するが強硬手段はとらずに、生徒にしっかり語りかけて下さい」と指示しました。
 反対署名が始まり生徒総会でも反対意見続出でしたが、予定通り6月から実施しました。3分の1くらいがルーズソックスを履かないで登校しましたが、学校が強硬手段を取らないとわかるや、再び履き始めました。
 先生方の必死の呼びかけも無視され、先生方は生徒を見ないように廊下を歩くのです。生徒は「先生は何も出来やせん」と思うだろう、これでは教育は成立しないとの危機感を持ちました。

保護者に支持を求める
 服装の乱れ、化粧、大量の遅刻者、学習意欲低迷、喫煙、公共物破壊など、多くの問題がありました。秋にPTA役員に実情を訴え、実態把握のため朝校門前に一緒に立っていただきました。役員からは口々に学校方針を支持するとの言葉を得たので、「強硬手段をとってでもルーズソックスを禁止する」提案をしました。
 もう反対する教師はいません。10か月前に紛糾した会議を思うと隔世の感がしました。翌春新学期を迎えた時、職員全員で校門に立ち預かったルーズソックスが50足。それでピタリと止みました。荒れの対応には、教職員の一致と保護者の支持が必要だと学びました。

教師側の問題
 荒れる学校に共通していることは、校長と一般教職員との乖離、教職員間の対立です。荒れる生徒の矢面に立って、必死でそれを食い止めようとする教師の一方で、かつての私のように汗をかかず会議のときだけ生徒の弁護に回り穏便にと叫ぶ教師の対立などは、その最たる例です。
 ある教師のうわさが入ってきました。40代後半の男性教師の授業が成立しておらず、その悪影響が他の教師の授業にも影響しているとのことでした。当時組合の力が強く、校長は授業中の教室に入れませんでした。「教師には教育権がある。校長が教室に入ると、教師は自分の授業ができない」というのです。私は他の教師に呼びかけ、見学できるようにしました。
 その教室では、生徒が時間通りに教室に入らない。入れば机上には化粧品だらけ、教科書などありません。最前列の4人の女子生徒は、おしゃべりばかりしていました。私はこの4人を教室外に出すように頼み、彼らに対して「君らがそんな態度であれば、私たちはあなた方を教育する自信がない」と、4人の親を呼んで連れ帰るように頼みました。2人の親は「教師が悪い」と反論しましたが、私が譲らなかったため、この2人も子どもを連れて帰りました。4人は反省し、きちんと授業を受けると約束したので、教室に戻しました。これを切っ掛けに授業の不成立はなくなりました。
            (つづく)
(740-0035山口県岩国市海土路2丁目86-12)

*「割れた窓」理論
 割れた窓を放置すると、やがて他の窓も割られる。すると「ここでは何でも許される」という無法状態のサインを発する。崩壊寸前のニューヨーク地下鉄は、この理論で大きな効果を上げた。
 1982年犯罪学者J・ウィルソンとJ・ケリングが、「割れた窓理論」発表。
 1984年デビッド・ガンがNY地下鉄総裁に就任、「落書きは地下鉄崩壊の象徴」として落書き消し、そして無賃乗車を徹底的に取り締まった。
 1994年、NY市長に就任したジュリアーニは警察官を大幅増員し、泥酔、放尿、ポイ捨てなどの軽犯罪を徹底的に取り締まった結果、重大犯罪は、1992年62万7千件から、1997年は35万6千件(△43%)。殺人は、1992年2、154件から、1997年770件(△64%)に減少した。

相談役から紹介された
「割れた窓」理論を掲載した本