薬物リハビリ施設の清掃活動 ナルコノンジャパン
大学アメフト部など、若者の薬物汚染が世間を騒がせています。違法薬物である覚せい剤や大麻などから、市販薬の過剰摂取(オーバードーズ)やお酒などまで、「薬物依存」は深刻な社会問題です。
「ナルコノンを美しくする会」(事務局鈴木砂予子さん)は、千葉掃除に学ぶ会(利哲雄会長)のサポートを得て、薬物依存リハビリ施設「ナルコノンジャパン」の清掃活動を続けています。
その活動と、世にあまり知られていない薬物依存・そのリハビリについて取り上げます。 (取材 編集室)
発起人鈴木砂予子さんの思い
2021年4月千葉県市原市に開設されたナルコノンジャパンは、約10年空き家だったレストランを改装した施設です。
私が翌年4月に訪問した際、建物の中はきれいでしたが、敷地内は崖側にツタが茂り、草木は伸び放題で、周囲の手入れまで手が回っていないようでした。
薬物依存を乗り越えようと頑張っている生徒さんを応援したい!
5月千葉・東京掃除に学ぶ会有志のお力を借り、ツタの除去から始めました。その後木の剪定、窓ふき、門扉塗装などを進め、この3月で6回目。環境が整ってきています。生徒さんたちが心穏やかにリハビリに集中できるよう、この活動を続けていきます。
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(2022.5.21)
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(2024.3.30)
参加者の感想
○施設見学もあり、今日本で起きている薬物の問題について知ることができて良かった。
○ナルコノンが、二度と薬物に手を出さないためにおこなっている効果的なプログラムを知れて、リアリティが上がった。
○このような良い成果を出している施設を応援できて嬉しい。
○豊かな自然に囲まれた薬物リハビリ施設ナルコノンの掃除は半年毎ですが、少しずついやしの空間に変わっていくのが嬉しくて、自分たちの家のような感覚になってきました。行く度に心のデトックス(解毒)をさせてもらっています。 (甲川壽浩さん)
○お掃除は見た目がきれいになるだけではなく、入ってくる粒子(人や物など)や出て行く粒子の流れが良くなり、場に秩序が入ります。問い合せや生徒さんの入所が実際増えるんです。
ナルコノンは、薬物依存のご本人はもちろん、ご家族や社会を救う活動をしています。お掃除はその土台であり、社会を薬物から救う、社会を良くすることに繋がっています。
そのことをどうしてもお伝えしたいと思いました。本当に素晴らしい活動をありがとうございます。
(馬川由美恵副代表)
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第6回
2024年3月30日 29名
門扉塗装、窓ふき、木の剪定、草刈り
第5回
2023年11月18日 15名
門扉塗装、建物周辺の草刈り
第4回
2023年4月9日 19名
錆びついた門扉の塗装、高所の窓ふき
第3回
2022年12月11日 22名
高所の窓ふき、入口周辺の木の剪定
第2回
2022年6月4日 16名
入口の植え込み木の剪定、窓ふき
第1回
2022年5月21日 14名
崖の草木ツタ類
インタビュー
ナルコノン代表理事
神野 正啓さん
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理念 「薬物のない人生を
すべての人に提供する」
薬物の予防からリハビリまで、そして本人や家族、関係者まで幸せになってほしいと思っています。
ナルコノンは、「薬物(narcotics)なし(non)」の意味で、サイエントロジー創始者の米人ロン・ハバードが1966年に開発した薬物依存のリハビリプログラムです。世界40か国49施設で、延べ4万人が終了しています。
日本では精神科にいくのが一般的ですが、ナルコノンでは「代替薬物」を使わず、「自然のものだけを使う」ことが最大の特徴です。このプログラムは、目的が明確で原理原則も確立しているので、私たちは自信をもってプログラムを実行しています。
プログラムについて教えてください
4ステップあり、個人差がありますので、卒業まで数か月かかります。
第1ステップ 離脱の時間
薬物なしで、朝起きて3食食べて夜寝る「普通の生活」を送ります。不安定な時期なので、この間敷地内にある、他のプログラムをおこなっている生徒たちとは別の家で過ごします。
第2ステップ デトックス(解毒)
体内の薬物を出すステップです。サウナで汗を流し、シャワーを浴び、休憩し、これを一日約5時間くり返します。薬物を取っていたときの感覚を再び体験する人もいますが、これを乗り越えて身体をクリーンにします。
第3ステップ オブジェクティブ
生徒は、薬物をとっていた過去に目が向いていますので、注意を現在に向けるための演習と、コミュニケーションスキルの勉強と実践をおこないます。
このステップを終えた生徒たちからは、言いたいことが言えないタイプだったけど、人の目を見て話せるようになったとか、誰かを助けることで自分の自信になった、などの声をいくつももらっています。
第4ステップ ライフスキルコース
生徒が卒業した後、また薬物を使う生活に逆戻りすることのないよう、本当に付き合うべき人とそうでない人を見分ける勉強をします。
その次に、自分の過去を見つめ直すためのコースをおこないます。薬物を使うことによって隠しごとができ、嘘をつくことも増えてしまいます。自分のおこなった過去の出来事や、うしろめたさにじっくりと向き合うことが必要です。これを終えると、生徒の気持ちはグッと楽になります。
そして最後に、卒業後に本人と家族、グループ、社会に対して何をするかを決めます。
神野さんが事業を始めたいきさつは
私は大学薬学部時代に薬剤師資格を取り、調剤薬局に勤めていたときに、友人から自分のドラッグ依存の相談を受けたことがありました。また窓口で患者さんに薬を渡していて、他の病気は治るのに、依存症だけはまったく良くならないことに疑問を持ちました。
多くの治療法を調べましたが、科学的に一番しっかりしていたのがナルコノンでした。事業開始にあたって立地は重要で、依存者に刺激を与える歓楽街や海辺などは不可です。関東で50か所くらい見て、房総半島中央の市原市の山中を選びました。
リスクはありましたが、新しいことをやってみたかったことや世の中に困っている人は多いと思って、2021年10年空き家だった元レストランを購入しました。
スタッフの育成はどうしていますか
ナルコノン・インターナショナルによる、世界共通の厳密な教育カリキュラムによります。当初の5名は、ナルコノン・ヨーロッパで研修(最大8か月)を受けました。彼らはインストラクターとなり、帰国後後輩を教育指導します。合格した人のみが、スタッフとして働くことが出来ます。
薬物依存の予防啓発について
薬物リハビリに加えて、「薬物の危険性」とともに「薬物がなぜいけないのか?」「どう断ればいいのか?」など
未来をつくる子どもたちや一般の人が薬物に手を出さないための予防啓発を、全国の学校や団体にて無料でおこなっています。
お伝えしたいこと
厚労省によると、日本国民の生涯経験率は2・5%程度とされ、相当多くの依存者がいると思われます。多くの方に、薬物への問題意識を持っていただき、ナルコノンのことも知っていただきたいと思います。
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東京都世田谷区の小学校にて
(2024.2.22)
福岡掃除に学ぶ会30周年(2)
若者に引き継がれた帆足先生の魂
森信三先生の教えを受けた帆足行敏先生は、1993年日本初の街頭清掃を始め、その2年後機関誌『かがやき』の発行を始めます。
毎回の活動を中心に、掃除の意義や市内の実践、初参加者紹介などをつづった、社会教育誌といえる貴重な記録です。博多駅早朝清掃の発展の経過を、『かがやき』から時系列でたどります。
(編集室)
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*
精華女子高校生8名初参加
第22号(1997・9・8)
博多駅長や幹部も驚き感動されました。生徒さんの感想文です。
―私たちは、毎月8日博多駅周辺を掃除する団体があると知り、調べて驚きました。早朝6時20分集合、1時間、毎月8日、日曜祭日には関係なし、雨天決行…
「えー!」と思いました。でも参加したらと思うと、大人になったようでちょっぴり優越感がわきました。担当の竹田先生に相談しました。「女の子が朝早く」を心配されましたが、賛成され、部活の数人と参加しました。
いよいよ当日、雨でした。早起きも嫌ですが、雨合羽を着て掃除するのはそれ以上に嫌です。でもみんな集まるそうですから、負けられません。勇気を奮って参加すると、大勢の方が雨合羽を着て集まっているではありませんか。開会式で自己紹介しました。
さあ掃除です。皆さんわき目も降らず一生懸命です。私たちも頑張りました。空缶や吸殻など無造作に捨てられたごみを見て、私たちのマナーの悪さを腹立たしく思いました。今まで、こんなこと考えたこともありませんでした。幸い雨は上がり、掃き清められた後は清々しい気持ちになりました。
「クリーンアップ博多駅デー」
第37号(1998・12・8)
福岡掃除に学ぶ会は、「博多駅をきれいにしよう」を掲げ、1998年11月29日(日)、350名で行いました。市民に加え、精華女子高校と東福岡高校から各50名の生徒、小学生数名も参加、駅周辺は大変きれいになりました。
○2つの高校の生徒会が担当
第44号(1999・7・8)
その後、この活動を年2回、前期を精華女子高、後期を東福岡高生徒会が担当することになりました。7月11日は、精華女子高が担当。当会も、多くの人に参加を呼び掛けました。
鍵山会長からハガキが届きました。「それは凄い計画ですね。〝クリーンアップ博多駅デー〟を掲げ、しかも生徒会の自主活動として一般にも呼び掛ける…全国で初めてです。私も参加させてください」
鍵山会長はこのことを、小渕総理に会ったときに伝えたそうです。
○精華女子高の呼びかけに呼応
第45号(1999・8・8)
生徒の感想文である。
―博多駅に着くと250名・・・私たちの計画にこんなに多くの人が集まっていると知りました。ホウキやちり取り、溝さらえ用の道具が整然と並べられていた。当校自慢のブラスバンド部の演奏で盛り上がり、生徒会長、博多駅長の挨拶の後、掃除に移りました。
「ご苦労さん」とあちこちで声をかけられ、その度にやる気、誇りを強く感じます。ゴミ袋はすぐにいっぱいになり、清々しい気持ちになりました。閉会式での鍵山会長の「嫌な掃除を進んですると、幸福が大きく膨らみます」の話は心に残っています。
○東福岡高校生徒会が主催
第48号(1999・11・8)
第2回(前期)は精華女子高校生徒会が担当し、第3回(後期)は12月5日(日)、東福岡高校生徒会が引き継ぐ。全国的に画期的な素晴らしい活動である。両校の生徒会は立ち上がった。私たちは一市民としてこの運動に絶賛の拍手を送り、支援していきたい。
○伝統行事として引き継ぐ!
第57号(2000・8・8)
精華女子高校生徒会
「博多駅は、私たちの学校の顔、福岡市にとっては市民の顔、国際的には日本の顔。利用客一日50万人。『クリーンアップ博多駅デー』は先輩が築き上げた素晴らしい行事である。生徒会はこれを引き継ぎ、伝統行事として『市民運動』に発展させたい」
7月16日(日)、ブラスバンドの演奏に始まり9時開会、生徒会長吉村洋美さんの爽やかな挨拶で清掃に入った。掃く人、除草の人、側溝の泥を上げる人、ゴミ運搬の人…30℃をこえる炎天下、生徒さんは頑張った。参加は150名をこえた。特筆したいのは、精華女子高生徒会の皆さんが、先輩の意志を継いでよくぞ実施したこと。
イエローハット様や八仙閣様が道具や駐車場の便宜を図っていただき、多くの方が参加されました。
*この活動は、2024年現在も継続中
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早朝清掃に参加して
市立箱崎小6年 久我眞也
第212号(2013・7・8)
ぼくは、小学校1年生の11月8日初めて父と兄と参加しました。そのとき帆足先生から、前に2年から6年まで休まず続けて参加したお姉さんがいたと聞きました。それで、ぼくも卒業まで休まずがんばろうと思いました。今連続52回がんばって参加しています。
ぼくはサッカーをしているので、火曜と木曜はねるのが11時近くになります。次の日や、冬の寒い日は、朝起きるのが大変です。行きたくないなあと思うときもあります。でも卒業するまで「休まない」と決めたので、がんばって起きます。
そうじをしていて、タクシーの運転手の人や通りすぎる人たちが、「おはよう」「ありがとう」「がんばってるね」と声をかけてくれるので、とてもうれしくなります。博多駅の周りや学校がきれいになると、うれしくなります。目標の卒業まで、残り9回です。中学生になって、部活の朝練とかあるけれど、出来る限り参加したいと思います。
*久我眞也さんは、2023年大学卒業し東京に就職するまで、ほぼすべてに参加。
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博多駅早朝清掃20周年に寄せて
日本を美しくする会会長 鍵山 秀三郎
第216号(2013・11・8)
皆さまに、厚くお礼申し上げます。精華女子高校の生徒さんの純真で清楚な姿は、多くの人の称賛の的となりました。
20年の間、幼児から参加したお子さんは、いまは立派な社会人になっておられるでしょう。小中高、大学生も大勢参加してくださり、成長を遂げていらっしゃることでしょう。朝早く起きること、暑さ寒さに堪えることなど、貴重な体験を身につけられたことと思います。
20年前はゴミが溢れ、排水枡は詰まっていました。皆様の至誠が街の浄化に大きな役割を果たしたと確信いたします。
汚いところが好きな人は一人もおりませんが、自分がきれいにしようとする人はとても少ないです。
古代中国の宰相晏子は、「益は無くても意味はある」という考え方を貫きました。皆さまは、晏子と同じ考え方の方々と思います。清く正しい生き方を世の人々にお伝えいただければ幸いに存じます。
*
冨吉袈裟右衛門さん引き継ぐ
現在の代表世話人冨吉さんは、2007年12月8日「博多駅早朝清掃」に初めて参加しました。2009年「NPO福岡実践人」設立。参加者にボランティア保険が適用されるようになりました。
2012年冨吉さん代表世話人に就任、2017年帆足先生逝去、NPO福岡実践人は、帆足先生の魂とともに冨吉さんに引き継がれました。コロナ禍の中も早朝清掃を続け、30周年を迎えました。
延べ参加者27、844人。帆足先生を終生の師とする冨吉さんは、東シナ海の甑島(こしきじま)を農業と掃除で再生する活動を始めています。帆足先生が蒔かれた「善行の種」が広がっています。
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掃除の海外展開(2)
日本での研修・見学受け入れ
日本を美しくする会顧問 田中 義人
きっかけは
1990年ころ、美鈴(妻)が友人との米国旅行で、飛行機の隣に座った米国人ジョン・アトキンソン氏と出会いました。2人は意気投合し、アトキンソン氏は、日本に行くときは恵那まで行きますと言われた。
彼は約束通り翌年私の家まで来てくれ、以後毎年のように来ました。当時当社では、鍵山秀三郎氏と出逢って掃除を始め経営危機を脱していたので、「掃除をベースにした全員参加の経営」をしていると話すと、彼は大変興味を持ち会社を見てくれました。
氏が、氏の友人のブリガム・ヤング大学の経営学部教授クラーク博士にこの話をしたところ、教授も大変興味を持たれ、後日弊社に来られ、「掃除を活かした経営」を絶賛されました。教授は、1997年ブリガム・ヤング大学経営学部EMBA卒業生37名を引率されて来られ、2001年、2002年と来社されました。
『GEMBA KAIZEN』に掲載
一方、1995年7月、弊社の改善を指導されていた長谷川淑郎先生が、国際的に活動中の改善コンサルタント今井正明先生を連れてこられました。今井先生は、「掃除をベースにした改善活動と全員参加の経営」にいたく感心され、これをご自身の著書『GEMBA KAIZEN』(1997年発行、後述)に9頁掲載されました。
この本は、改善テキストとして世界22か国で翻訳出版され、多くの人の目にとまりました。そして、2005年から弊社を、今井先生の会社「KAIZEN」が行う「日本のカイゼン研修」の訪問先に入れていただくようになりました。
海外の見学者から好評価をいだたき、これが記事になりました。弊社は他の海外向けコンサルタント会社の目にも
留まり、訪問者が増え、これまでに120回、2,562人が来社され(2024年6月末現在)、今も月に1度は視察団が来られます。
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(1997.5.27)
研修・見学の内容
9時来社、10時半までプレゼン、11時半まで工場見学。12時まで質疑応答・終了です。
プレゼン
掃除を経営に導入した理由や効果など、以下のことを話します。
①会社の経過 経済成長下大きく成長したが、1991年バブル崩壊により経営危機に遭遇した。
②掃除との出会い 1991年11月23日、鍵山秀三郎氏と運命的な出逢い。「30年間毎日トイレ掃除をしてきました。お蔭で、会社も人生も大きく変わってきました」と聞いて、翌朝から近くの神社境内の掃除を始めた。境内が徐々に美しくなると、子どもがゴミを捨てなくなった。
③経営に掃除を導入 リストラしないと宣言。社員と相談し、土曜日に40歳超の社員は無給出勤し、徹底して職場を掃除することにした。反発した約10名が自主退社したが、社内の環境整備は進み人間関係もよくなり、会社をよくしようとの機運が盛り上がった。
④一泊研修 社員主体の研修で、「自分たちの会社」へ意識変化が生まれた。
⑤経営システム 掃除と社員研修をベースに、情報公開をおこない、半期に一度の全員参加の経営計画を作成するシステムとした。
⑥掃除の効果 「人間は無意識の内に環境の影響を受けるが、環境を作ることが出来る」「環境に、もっとも影響を与えるのは、会社のトップである」
⑦掃除の広がり 活動は日本中、そして世界にも広まっている。
工場見学
①整理整頓された職場の見学
②掲示物の説明 経営計画表などで、会社目標と計画作成の説明
③社員一人ひとりの目標管理
まとめ
海外の人にとって「掃除をベースにした改善活動」は意外性があり、かつトップが率先垂範して掃除をすることは、自宅以外は掃除したことのない海外の経営トップには衝撃のようです。彼らが帰国後、掃除を始めるケースも多く、その中から自国に来て指導してほしいとの要望も多く出ます。
なお、海外の団体の見学受け入れ企業を募集しています。「掃除文化」を海外に伝える活動にご協力ください。
『GEMBA KAIZEN』
東海神栄電子工業
MASAAKI IMAI
田中義人社長は、地元で優れた従業員を採用することが難しく、常に教育という問題を抱えていた。
社員教育は社長の仕事
田中は、それまで会社の目標や問題点を従業員に伝えていなかったことに気づき、1998年学習セッション開設、月初の週末に2日、従業員は交替で年1回の参加を求められた。
土曜日は、共通課題。従業員は利害がある問題には積極的に参画し、解決策を考えた。日曜日は、近くのキャンプ場で料理などを楽しんだ。学習専用の教室が増築され、経営計画からボーナスなども扱われた。
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掃除との出会い
田中は1991年、鍵山秀三郎氏に出逢った。鍵山の経営理念―掃除―に感銘を受け実行に移した。翌朝近くの神社の境内で、子どもが捨てたゴミを掃除しトイレを掃除した。
ゴミが消え、トイレがきれいになると、子どもたちは捨てなくなり、人々はトイレを汚さずに使うようになった。鍵山から聞いていた「掃除をすれば人々の態度が変わる」、は本当だとわかった。
自己規律 ― 5S、挨拶、エチケット
田中は長年、従業員の自己規律に悩んでいた。従業員は、叱られると機械をハンマーで殴った。自己規律に問題があると、何を教えても役に立たなかった。田中は自己規律の3つの活動を考えた。人間関係は良くなり、品質意識が高まり、設備故障が減り、不良率も半分になった。
田中は本格的な清掃プロジェクトを導入した。始業前の15分間、誰もが掃除に集中した。1995年7月私が同社を訪問したとき、まず駐車場で驚いた。ゴミ一つなく車はきれいで、ディーラーの展示場のようだった。現場も清潔で、化学薬品を使う現場の床に液体のシミ一つなく、従業員はスリッパと普通の作業着姿であった。
掃除に関する従業員のコメント
・話すこともなかった人と一緒に掃除をして言葉を交わし、今は親近感を覚えています。
・自分の場所だけやっていたが、今は汚れた場所を手伝います。私は人間的に成長しました。掃除はすごい。
・機械や建物にずっと愛着を感じるようになりました。
もう一つの改革 「標準化」
掃除が根付いても、田中は何か足らないものを感じていた。朝のかかりが遅く、夕方とても忙しい。月の生産も、月初は遅く月末にピークになる。1994年後半、カイゼンコンサルタントは助言した。
「しくみか作業手順かどこかが不適切です。最大の問題は、あなたがこの問題はやむを得ないとして疑問視していないことです」
田中は全員を集めた。土曜日、3~4人単位のチームで、ベテランが手順に従って作業し、残りは観察し、必要に応じて標準を修正する。次に2人目が作業し、問題が出たら話し合い修正する。標準にポイントが記述され、パラメーターも定量化された。工程は単純化され、作業者はボタンを押すだけでよくなった。
日曜日、技術者らも参加した。参加者はこの2日で問題を突き止め、「見える化」が出発点と学んだ。
当初の標準は、技術部門が作成していた。作業の習熟によりスピードは大きく変わり、作業者や製品によっても違うこともわかった。
数週間新標準を実行し、3か月後パートも参加した。ケアレスミスが減り、意識改革も進んだ。技術者らは、従業員に教えるのが仕事だと思っていたが、今は一緒に標準の確立に取り組んでいる。効率が大きく向上し、ラインバランスも良くなった。
作業者のコメント
・10年間経験と勘でやっており、これを言葉にできませんでした。
・朝は仕事がなく、夕方4時は大忙しです。定時で帰りたく、これを検討する機会はありがたい。
・みな時間を忘れ全力で取り組みました。素晴らしい学習体験でした。
現場監督者のコメント
私は、作業者に好きに仕事をさせていたと気づきました。作業者が変わると品質がバラツキ、休めば他の人はできず、標準がいかに大切かを実感しました。
まとめ
6か月が経ち、不良率は4分の1になり、残業も減った。売り上げは減っても利益はアップした。仕事の一部を、パートに回したからだ。東海神栄は、この改革を新設備導入や従業員を雇うことなく達成した。