SDGsと経営

ゴミ削減プロジェクト「横浜G30」
 行政主導によるゴミ削減(2)

参議院議員 中田 宏

 松下政経塾で「ゴミ」の研究を志した中田さんは、各地のゴミ処理の現場に入ります。     (編集室)

西宮市に手紙を書く
 1989年(平成元)秋、私は「廃棄物の研究をしている松下政経塾生です」という書き出しで兵庫県西宮市役所に手紙を書きました。
 当時西宮市は、リサイクル先進地に数えられていました。担当課に電話を入れ、後日担当課長を訪ねました。私は一般家庭から出るゴミをどのように資源化しているのか勉強するために、現場で働かせてほしいと伝えました。
 松下政経塾には、現地現場主義という言葉があります。物事の本質は、現場でしか知りえないという意味です。ゴミ問題の研究をすると決めた私は、その現場に足を運ばなければなりません。しかし、西宮市の担当課長は外部の人をゴミ処理行政の現場に入れた前例がないと難色を示しました。
 行政として予想された答えでしたが、私は食い下がりました。万一の怪我などの責任は自分で負うと一筆入れるので何とか受け入れて欲しい、と懇願しました。「1日なら」と言う課長に対し、私は2か月とお願いしたものですから、部長も出てきての協議になりました。
 結果西宮市の中間処理施設内で分別作業をしている下請事業者に計ってくれ、2週間作業させてもらう許可を得ました。


「燃やす」と「燃やさない」の西宮市
 阪神電車甲子園駅からバスで、鳴尾浜の西宮市東部総合処理センターに通いました。25歳の私より随分年上のおじさん、おばさん約10人がゴミの分別をしている、プレハブの様な建物の2階が現場でした。両手に軍手、さらにその上に分厚いゴムの手袋を装着すると、手が一回り大きくなり握力が奪われます。口にマスク、目にゴーグルを着けて作業に加わりました。
 西宮市では、家庭ゴミを「燃やす」と「燃やさない」に分けて排出するルールでした。燃やすゴミはそのまま焼却され、燃やさないゴミは再資源化の工程に回ります。私がまずやったのは、レジ袋などに入れられた燃やさないゴミを、袋から取り出す作業でした。
 袋を左手で掴み上げ、右手の千枚通しで切り裂いてゴミをベルトコンベアに出します。瓶やプラスチック、割れた食器など様々なものが出てきます。それらはベルトコンベアで流れていき、ガラガラと大きな音を立てて鉄だけ磁石に吸い上げられます。
 機械的に選別できるのは鉄だけで、以降は、ベルトコンベアで流れてくるゴミの中から作業員が資源物を拾っていきます。アルミ缶、透明の瓶、青の瓶、茶色の瓶など、自分が拾う分担が決まっていて、脇のシューターに投げ入れます。
 シューターから滑り落ちた缶や瓶は、1階のヤードに小山となり、ここから再生工場に運び出されます。こうした手選別で分別をするのが西宮市のやり方でした。
 燃やす、燃やさないの定義はあるものの、徹底されているわけではなく、市民の主観で判断された結果、定義とは違うものが数多く入ってきます。
 例えば、プラスチック製品、動物の死骸、紙おむつ、乾電池、注射針など。包丁やナイフなどは新聞紙等で包むのがルールですが、むき出しのままのことも少なくありません。分厚い手袋をしていても危険な作業でした。

人の手によるゴミの分別作業 兵庫県西宮市

善通寺市、千歳市・・各地を回る
 香川県の善通寺市に行きました。ここでは市民が徹底して分別していました。紙は新聞紙、雑誌、段ボールなど種類ごとに、瓶は色ごとに、傘を捨てるにも布と金属骨を分別する徹底ぶりでした。
 ゴミ収集車で集積所を回ってみると、瓶は軽く水ですすがれていて匂いもなく、とても綺麗で驚きました。善通寺市は最終処分場が豊富ではないので、分別による再資源化で最終処分場に入る量を減らす努力をしていました。
 北海道千歳市では、ゴミ収集日に町内の人がのぼりを立てて回収ボックスを配置し、街角に集積所が出来上がります。そこに市民が資源ゴミを持ち込んで分別します。
 最終処分場に行って驚きました。さすが広大な北海道、あと50年埋め立てが可能だというのです。それでも再資源化に取り組む姿勢は、本当の意味で先進的な取り組みに思えました。
 日本各地の市町村の現場に行き、作業をしつつ研究しました。

行政がやるか市民がやるか
 各地を見て私が得た結論は、「再利用・再資源化には必ず分別が必要」、そして「分別のルールは焼却炉の性能などで市町村ごとに異なる」ということです。
 最大のポイントは、分別を行政サイドがやるか、市民サイドがやるかです。行政が分別をやれば市民は楽ですが、その工程が見えず再資源化に対する市民の関心は低いままです。市民が分別すると、市民自身がゴミか資源かと考えて問題意識が上がります。
 やがて、全国のゴミ処理・再資源化の事例研究を発表するようになり、是非聞きたいと言ってくれたのが熊本県人吉市です。人吉市は九州山地に囲まれた盆地にある人口3万人の市で、埋め立て処分場の限界が近づいていました。
 人吉市に足を運び、市長と担当職員に全国の取り組み事例を話しました。そして、ゴミ処理行政を大きく転換したいので力を貸してほしいと言ってもらい、1990年10月にリサイクルアドバイザーの委託を受けました。
 その後、担当課の職員と再資源化のための分別の仕組みを策定し、市内各地の説明会で話し、ゴミ処理政策の立案と実行に携わりました。人吉市のゴミは再資源化率が高まり、埋め立て処分量は大きく減りました。

ゴミの研究に取り組む中田宏氏

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 もう1つチャンスをいただきました。掃除でお会いする機会が多くなっていた鍵山秀三郎氏から、テレビコマーシャル(CM)を作ってもらえないかと言ってもらったのです。
 当初その意味を理解しかねました。テレビCMといえば、商品の販促のために高いお金を払うわけで、ゴミやリサイクルとまったく結びつかなかったからです。鍵山さんの話はこういうことでした。
 イエローハットは日本テレビ系列で毎年夏に放映する「24時間テレビ 愛は地球を救う」のスポンサーで、この番組で流すCMは、番組の趣旨に則って世の中の役に立つ内容にしたいというのです。
 合点したものの大変驚きました。他のスポンサー会社は、日常と同じCMを流していました。鍵山さんは「中田さんが素晴らしいと思うゴミの出し方、人の姿をCMで流しましょう」と言ってくれたのです。
 早速、イエローハットの広報担当の方と打ち合わせました。私は香川県善通寺市を選び、市役所に趣旨を説明し理解してもらいました。後日、イエローハットの担当者と制作会社の人と、善通寺市民の朝の分別風景をカメラに収めました。

「ゴミと一緒に心捨ててませんか」
 30秒のCMは善通寺市民が手際よく分別している風景を映し出し、最後に「ゴミと一緒に心捨ててませんか」というナレーションで終わります。その声は俳優・声優として著名な森本レオさんです。
 CMは1991年7月の24時間テレビで全国に放映されました。「ゴミと一緒に心捨ててませんか」のコピーは、私が鍵山さんに言った言葉で、まだ使えるものまで捨ててしまうのは、ゴミと一緒に「もったいないという心」も捨てることにつながると考えていたからです。
 一民間企業が、自社には一銭の役にも立たないようなCMを作成してくれました。その24時間、私はテレビにかじりつき、流れるたびに感動しました。
 今でこそ社会課題を取り上げるCMもありますが、30年以上前にはまずありませんでした。経営者の志、会社の理念を見ました。

「24時間テレビ」
イエローハット様のテレビCM(1991年)