トピックス

奥能登災害ボランティア

日本を美しくする会 関西ブロック有志

 2024年元日に地震、9月に豪雨が石川県能登地方を襲いました。このたび日本を美しくする会の有志が、災害ボランティアに行きました。進まない復興の現状と、献身的に支援している現地の人々に触れ、感じることの多い活動でした。

能登半島地震と能登半島豪雨
 2024年1月1日16時10分、石川県珠洲市の地下16㎞で発生した能登半島地震。規模はマグニチュード7・6、輪島市などで最大震度7、死者462人(うち災害関連死235人)、行方不明3人(2024年11月26日現在)。海底部が最大4m隆起し、輪島市の海岸沿いの国道249号は通行不能で、隆起した海岸の上に迂回道路を仮復旧。
 さらに、復興途中の9月21日から23日にかけて、台風14号が変化した温帯低気圧と線状降水帯により、集中豪雨が発生。死者16人、土砂流出は約1900か所におよび、当地では地震と豪雨の苛酷な二重被災となりました。

日本を美しくする会の支援
 当会は被災地支援を呼びかけ、皆さま方から総額280万9887円の義捐金をお預かりしました。6月25日、利哲雄会長が現地に赴き、重蔵神社様、朝市の輪島市本町商店街振興組合様、輪島漆器商工業協同組合様の3か所に各70万円を、また森川和重北陸ブロック事務局長を通じて50万円を北山達朗氏(前七尾掃除に学ぶ会)にお渡しし、七尾高校便教会とともに復興支援に使っていただくことにしました。
 このたび、本部と下正晴関西ブロック長で相談し、関西からの災害ボランティアを計画しました。播磨掃除に学ぶ会の木南一志氏から、富山県倫理法人会相談役、石川とおやべ掃除に学ぶ会の片山工業(株)片山孝志氏を紹介いただき、11月2日に計画を実施。バスチャーターに義捐金を使用しました。

■概要
□日時 2024年11月2日
9時~15時(実働約4時間)
□場所 旅館「ホテル海楽荘」
珠洲市真浦町
 ボランティア拠点 輪島市ふるさと体験実習館(曽々木ボランティアベース、運営(一社)震災復興子ども支援 代表理事 佐渡忠和)
□参加 35名
 (関西ブロック20名、当日15名)

■スケジュール
・ 11月1日(金)JR鶴橋駅22時発
・ 11月2日(土)8:10ボランティアベース着。9:00移動(マイクロバス)。9:15~12:00活動。
昼食 移動(マイクロバス)
13:30~15:00活動。
15:15 ボランティアベース集合。
16:00現地発→18:45金沢駅着 
夕食と入浴。22:00出発
・ 11月3日(日)5:10解散

■注意事項
 安全長ぐつ、ヘルメット、水は各自持参、現場にトイレなし。現場の写真撮影禁止、泥対策(ボランティアバスを汚さないよう、マイクロバス送迎、乗車時に高圧洗浄)

旅館「ホテル海楽荘」について
(読売新聞オンライン9月30日 編集)
 「海楽荘」を経営する池田幸雄さん(70)と妻真里子さん(69)。海楽荘は幸雄さんの父が50年前に始め、間もなく2人は結婚。幸雄さんの人柄にひかれ、毎年宿泊客は多かった。
 元日の地震では旅館のガラスが割れ、外壁が崩れた。1月電気が復旧、2月には復興工事の作業員やボランティアのために宿泊営業を再開。「へこたれておるわけにはいかんね」と、温かい料理を提供し、昼にはおにぎりを持たせた。断水は続いているが、10月に入浴を再開する直前だった。
 激しい雨がたたき付けていた9月21日、建物の前を物置と軽ワゴン車が流れていた。驚いて2人で玄関に向かうと、突然背後から濁流が流れ込み、体ごと外へ押し流された。
 「お父さん、どこー」。向かいの公衆トイレの柵に引っかかった真里子さんが大声で叫ぶと、すぐ近くの松の木にしがみついて、左手を上げる幸雄さんが見えた。真里子さんは、わずかに弱まった流れをかき分けて助けに向かい、右手を懸命に伸ばした。あと10㎝。再び強い流れが押し寄せた。真里子さんは松の木につかまったが、幸雄さんは見えなくなった。4日後、幸雄さんは近くの岸壁で遺体で見つかった。

参加者のレポート
京都掃除に学ぶ会 秦由見子
 何かしたいけれど一歩踏み出せずにいました。そんなとき、下ブロック長より、ボランティアバスが出ると聞いて、早速申し込みました。
 「ホテル海楽荘」は、珠洲市と輪島市町野町の境にある、風光明媚な海に面した旅館です。地震で半壊し、電気も水道もない中、復興関係者のお世話をされていました。しかし、10月の入浴再開予定の矢先、豪雨でご主人がお亡くなりになりました。
 奥様には、ご主人の夢であった旅館の再開が生きる拠り所です。その思いを、(一社)震災復興子ども支援の佐渡忠和さんが受け止められました。佐渡さんは、広島のお好み焼き屋をたたんで現地に移住され、そこに現地の片山孝志さんが献身的に協力されています。
 私たち関西ブロック20名は、九州の団体と計35名で海楽荘に入りました。入り口にはご主人の遺影が飾られていました。1階は天井まで土砂と流木で埋まっていました。私たちは、ユンボが入らないトイレや台所などの泥を、シャベルでかき出しました。瓦礫を撤去し、思い出の品の仕分けも行いました。
 水分を含んだ泥は重く、シャベル作業で力が尽きます。ぬかるみに足を取られ、作業は困難を極めました。そんな状況に心が折れそうになったとき、「声を掛け合っていきましょう!」と、バケツリレー方式に変えると、スムーズに進み始めました。一人だと厳しい状況でしたが、皆さんの前向きな姿勢や声かけに助けられ、普段以上の力が出たように思います。
 活動は4時間でしたが、佐渡さんが目を赤くしながらお礼を言われました。理不尽なことに巻き込まれたとき、人としてどうあるべきか、傍観者ではなく自分で主体的に行動することを考える機会になりました。
 下ブロック長や皆さま、本当にありがとうございました。

(一社)震災復興子ども支援 代表理事
佐渡忠和さん(72)
(2024年5月20日 NHKお好みワイドひろしま 編集)
 元日の報道を受けて出発。道路は最悪の状況で、車が4輪ともパンク。ホイールだけで走りました。
 2011年の東日本大震災をきっかけに、熊本地震、西日本豪雨など、災害のたびに広島のお好み焼きの店を休んで、被災地を支援し続けてきた佐渡さん。このたび大きな決断をしました。「今まで経験がないくらいボランティアが少ない。腰を据えた支援をしないと駄目だ」と、能登に移住すると決めたのです。
 2011年の東日本大震災が転機でした。8月、「津波の映像が流れて、何かしようって思うでしょ。お好み焼きの鉄板持って、現地に向かいました」。
 以来毎年、夏の2か月店を休み、被災地の保育園などでお好み焼きの炊き出しを続けました。お好み焼きを食べる子どもの笑顔が生きがいになっていったといいます。13年間で、全国10か所以上の被災地を訪れています。
(曽々木ボランティアベース 928-0206輪島市町野町曽々木カ4) 

片山孝志さん(75)
 9月豪雨の後、佐渡さんとご縁ができ、海楽荘に連れて行っていただきました。巨木が山積みで、旅館の中まで巨木が入っている凄まじい光景に衝撃を受けました。
 「機械を入れないとだめだね」と話し合い、ユンボを探しました。見つかりません。富山県のリース会社に懸命にお願いして、ようやく調達できました。それ以来、片道3時間かけて毎週3回通うようになりました。
 日本を美しくする会のご支援、誠にありがとうございます。復旧には長い期間がかかると思いますが、泥を除き大掃除をしてきれいにしてさしあげたいと思っています。その際はぜひ、多くの掃除に学ぶ会の方に来てほしいと願っています。
(939-1665富山県南砺市小山311) 

第300回呉掃除に学ぶ会

呉掃除に学ぶ会 中村 隆行

□とき 2024年12月8日(日)
□場所 呉中央中学校
□参加 45名(生徒19、先生3、小学生3、幼児1、PTA6名)

 第300回記念大会は、小中一貫校の呉中央中学校で開催しました。意識の高い幅広い層の人が参加しました。
 作業はスムースに進み、乾式床のトイレはピカピカになりました。新旧の道具を組み合わせて使い、ある小学生は「スペースショット」を使って鏡磨きに熱中し、一人で奇麗にしてくれました。
 家族4名の参加や、広島市、東広島市、山口県周南市の掃除仲間が来てくれ、十分なリーダーで丁寧な指導ができました。掃除の後は、PTAがつくってくださった豚汁をおいしくいただきました。

生徒、参加者の感想
・「壁を拭いたり、便器の中に手を入れて細かい汚れまで取ったり、普段しないところがキレイにできた。とてもすっきりしたし、やってよかった。これから学校のトイレをきれいに使って、きれいに掃除しようと思いました」
・「初めて隅々までやったけど、トイレだけでなく心まできれいになりました。トイレ掃除は、自分のためではなく、次に使う人のためにやると学んだ。トイレ掃除だけでなく、他の場面でも他人のことを考えて行動しようと思いました」

300回の歴史
 2005年、鍵山秀三郎さんの講演会で、学校トイレ掃除大会の話が出て、市立白岳小学校のPTA会長佐々木一幸さんが役目を引き受けました。
 翌2006年4月21日、市立横路中学校創立100周年で、広島掃除に学ぶ会の応援を得て、第1回を実施。その後代表世話人の佐々木さんは、小中高でのトイレ掃除を、原則月1回おこなってきました。学校の活動がないときは、旧海軍墓地のある長迫公園などのトイレ掃除をしてきました。
 5年目に隣の江田島市の学校でトイレ掃除を始めました。2018年3月、第200回記念大会。
 2020年からはコロナ禍で、呉市繁華街に近接する駐車場を中心に夢拾い(ゴミ拾い)を続けました。
 2024年、佐々木さんは中村隆行さんにバトンを渡しました。

座談会 佐々木一幸・平原悦子・
杉山美幸・中村隆行
(エピソード)
 数年前江田島市大柿中学校で、男子生徒がとても汚れた小便器の水越を磨き上げ、見事にきれいにしてくれたことがありました。
 私たちは彼の頑張りに感動しました。彼は、進学希望の広島ではなく、地元高校の野球部に進み、そこで部を引っ張って活躍しました。甲子園予選をいい所まで勝ち抜いて、新聞に載りました。
 私たちは、物事にまっすぐ取り組む生徒は、他の分野でも成果を上げるのだと喜びました。
(300回続いた理由)
 まず、近隣の会との連携です。広島の会が呉の立上げを全面的に指導し、東広島の学校トイレ掃除では、広島—呉—東広島が協力して活動したことから、今も3会が密接に協力しています。
 次が、学校関係者です。江田島市元教育長(元校長)小野藤訓先生は、呉の会発足2~3年後の、呉の中学校教頭時代に参加されて以来です。江田島に帰郷して校長になられて教育長在任(2019~2023年)中、江田島市の学校にトイレ掃除を広めていただきました。コロナ後の2023年江田島で活動が復活したのも先生のお力です。
 第300回の会場、呉中央中学校の坂田恭一校長先生は、元吉浦中学校の教頭先生で、トイレ掃除に対する造詣の深い方です。
(交流会など)
 毎年4月、活動後に総会を開催。活動・収支報告をし、昼食会で懇親を深めます。毎年忘年会(新年会)では、設立時の話などで話が盛り上がります。
 その他、鍵山相談役のビデオ鑑賞会や校長先生による掃除道の講演、食事会・茶話会などで近隣の会と交流しています。今後も、ますます活発に活動したいです。
(737-0003広島県呉市阿賀中央4-1-13-705)