甑島「長目の浜」海岸清掃
とんぼろ掃除に学ぶ会 冨吉 袈裟右衛門
鹿児島県の串木野新港から45㎞、フェリーで片道75分の東シナ海に浮かぶ甑島。
ここで一人、耕作放棄地の再生と、景勝「長目の浜」の海岸清掃を始めた人がいます。この冨吉袈裟右衛門さんの「志」に賛同した人々が集まり、海岸清掃をおこないました。大量の漂着ゴミを見て、大きな問題意識を持ちました。
(取材 編集室)

甑島について
海岸にはウミガメが上陸し、カノコユリ(写真)の自生密度が日本で最も高い地として有名です。人口は、1958年の24744人をピークに下降し続け、2023年は3313人。14歳までが243人(7%)、65歳以上の高齢者が半数以上を占め、高齢化・過疎化が進んでいます。
主な産業は、水産業、農林業、観光業ですが、過疎化に伴い耕作放棄地が増えています。
甑島には約8千万年前の白亜紀の地層があり、国内で初めて恐竜ケラトプスの化石が発見され、縄文土器、弥生土器も多数発掘されています。江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、南蛮貿易の中継基地でした。
今回の会場「里集落」は、海流などにより運ばれた砂や岩が集まって海面上に現れた陸繋砂州(トンボロ)の上にあり、函館や串本と並ぶ日本三大トンボロの一つです。
景勝地「長目の浜」は、里集落から6㎞のところにある観光スポットです。薩摩藩主島津久光公が景観をほめて、「眺めの浜」と命名したことが由来とされ、一帯は2015年国定公園に指定されました。遠目には美しい景観なのですが…。
第1回年次大会
□日時 2024年7月14日
活動6時半~8時半
討議11~15時
交流会17時~
□場所 「長目の浜」「里公民館」
□参加 45名(島民9名、島外36名うち九州大学4名)
□ゴミ回収(45ℓ袋) 産業廃棄物 130袋、一般ゴミ30袋

経緯と目的
冨吉さんは、2022年、漂着ゴミで溢れている長目の浜(写真)を目にして、約3㎞の海岸清掃をひとりで始めました。甑島の農業と掃除の友人が共感し、翌年2月「とんぼろ掃除に学ぶ会」「とんぼろ海掃隊」を発足。
毎月一回海岸清掃をおこなっていますが、ゴミは海岸の石や砂に埋もれており、拾えるゴミは拾っても拾っても、減る実感はまったくありません。このたび、島外の人に実態を見てもらい、進め方を考えたいと、年次大会を企画しました。
活動
長目の浜の中心部「貝池駐車場」を拠点に予定しましたが、前夜から雷を伴う大雨でした。6時には小ぶりになったものの、道路水没により場所を田之尻展望所下の海岸に変更し、式次第に沿って進行しました。
開会式、体操、注意事項、リーダー紹介の後、海岸へと降りました。その海岸線に広がるゴミ、ゴミ、ゴミ…折り重なるように積み重なった漂着ゴミは想像を絶するもので、言葉を失う同志道友が多くいたと思います。写真と後の参加者感想をご覧ください。
討議 里公民館にて
・冨吉さん挨拶
「皆さんに参加していただき、千人力を得た思いがします。九州大学さんとご縁をいただき、3月、5月に調査していただいた甑島再生の発表があります。人口減少が続き、5年後には500人を割るとの予測もあります。役所にも島を知る人が少なくなっています。
これを何とかくい止めたく、海岸清掃を通じて島に注目していただきたい思いがあります。再生の拠点として、島民・観光客の交流の場をつくってはと思っています。自身最後の活動の場として、私財をなげうって臨む覚悟です。皆さんからご意見をいただきたい」

・「九州大学人間環境学研究チーム」構想発表 担当 志賀勉准教授
要旨「里港近くの旧溝上辿邸を島民、観光客の交流の場にしたい。コンセプトは、『島民のくつろぎの場、観光客が情報を得る場、甑島に来た思い出の場、甑島の歴史』。
1階を交流スペース・歴史資料館・観光案内・カフェ・野菜販売所・ベンチ、海に行ける道、痕跡ギャラリー・資料館(流木や玉石垣を活用)、2階は宿泊スペース、テラス…」
・グループ討論(参加者感想に含む)冨吉さんの思い
「博多駅早朝清掃」の代表世話人、その活動は『清風掃々』第49、50号特集で紹介されました。
1962年鹿児島県生まれ。10歳で農業をはじめ、青年期に建築士、水産会社経営再建などに携わる中で苦難に出逢い、宮島弥山に入山・修行。鹿児島まで歩いて帰る途中、「命ある限り、人として、人様のお役に立つ生き様を貫こう」と志を立てます。
農業再生のための法律や営農指導を学び、2004年NPO法人「楽農人」設立(43歳)。微生物による土壌改良剤を開発し、全国の耕作放棄地の再生、農業再生に取り組んでいます。
決意表明 2022年12月12日
1990年、初めて甑島を訪問した際に目にしたカノコユリに目を奪われました。1996年から甑島で農地再生をおこなっていましたが、10年目に福岡に転居。
その後、日本各地で土作りのお手伝いをさせていただき、16年経た今、ご縁ある甑島に戻ってきました。私も60歳を迎え、残された10年で、人生の集大成としてこの地の農地再生にお役に立ちたく、これは「楽農人」の趣旨「古き良き時代の日本再生」でもあります。
また、この美しい島の環境整備にも取り組みたいです。観光の要所長目の浜は、漂着ゴミで見るも無残です。長目の浜からゴミがなくなるまで活動し続けたい。
日本の縮図こしき島。日本一きれいな長目の浜を目指して―
参加者感想
①感じたこと、気づいたこと
・災害でも起きたのかと錯覚するほどです。地面の奥深くから積み重なって地層になっています。
・ゴミの多くは外国からの物です。
・流木、浮き輪・網・発泡スチロールなどの産業廃棄物、ペットボトル、プラスチックが多く、異臭が漂い生態系に深刻な影響を与えています。
・行政は問題を放置しています。ゴミの大きさ、足場の悪さ、国定公園指定による制限などが、回収の障壁です。環境に配慮しつつ大量に回収する仕組みが必要では。
②今後の対策案など
・重機、運搬用トラックを使用。そのために遊歩道を兼ねた運搬用道路を敷設する。
・海側から船でゴミを回収する。
・流木は浜辺で燃やす。また行政が回収に責任を持つ。
・ボランティアを募集。SNSで発信、イベント開催、参加を後押しする税制優遇・ポイント制などの導入。島外から人が集まれば、行政や島民の人も関心を持つ。
③その他
・島民の方、特に90代の方がゴミを拾われていて感動した。
・環境実態を学術調査し、実績を広報。環境教育の場として、学校に活用。海外にも発信。世界が力を合わせて取り組む課題です。
(811-2247福岡県糟屋郡志免町向ケ丘2・4・3)

【解説】
編集 編集室
プラスチック汚染の現状
「プラスチック汚染は、いまや〝破壊的〟なレベルに到達した」
2023年国連報告書が、深刻な懸念を表明しました。プラスチックは安価で耐久性に優れる一方、自然界で極めて分解が遅いために、今や世界の脅威になっています。国際的対策は進まず、日本では意識も高くない現状を考えます。
(参考 Wikipedia等、数字は研究により違うために、平均的値を挙げています)
世界の状況
年間3億6800万㌧(2019年)のプラスチックが生産されています。人類史上プラスチック累積生産量は83億㌧、廃棄量は63億㌧。
世界のプラスチックゴミ(以下プラゴミ)の処理は、「不適切処置が22%、埋め立て50%、焼却19%、リサイクル9%」との報告があります。特に管理状態が不十分な途上国では不適切処理が多く、このうちの800~1000万㌧が海に流出していると見られています。
自然界での分解年数は、発泡スチロール50年、プラ飲料ホルダー400年などと推定されています。近年の生産量激増に応じて廃棄量も急増、甑島の海岸であの惨状ですから、世界の海には膨大の量のプラゴミが、浮遊・堆積していると考えられます。
なお、先進国はプラスチック廃棄物を、長期・大量に発展途上国へ輸出し、それらの一部が野外で焼かれたり環境に放出されるなど、不適切処置されているという現状もあります。
日本の状況
日本は、プラゴミ発生国としては世界最悪ランクにあります。廃棄量は823万㌧(2021)で、一般廃棄物が51・5%、残りが産業廃棄物です。
日本の問題は、家庭から出る一般廃棄物のうちの77・4%が包装材で、特に食品包装材が多いことです。飴玉一個から野菜などもトレイやラップで個別・多重包装されており、この「過剰包装」文化は世界的にも批判されています。
また、一人当たりの年間プラゴミ発生量は70㎏と体重を上回り、これは世界第2~5位の間を推移しています。アメリカは127㎏で、抜きん出て1位です。
プラスチック汚染の問題点
海洋などに排出されたプラゴミは、波や太陽光により細かく砕かれて「マイクロプラスチック」となり、有害化学物質も含まれるため、さまざまな問題を引き起こします。主なものを2点挙げます。
まず、生態系・海洋生物への影響です。カモメ、クジラ、魚などは餌と誤認して食べ、胃がプラスチックで満たされ、餓死または病死した事例は多くあります。
次が、人体への影響です。マイクロプラスチックに含まれる有害化学物質は、生物に蓄積し、食物連鎖を通じて人類にも有害な影響を引き起こす恐れが指摘されています。
海洋だけでなく、陸地の土壌中のマイクロプラスチック汚染も大幅に増加しており、人間の健康に影響を与える可能性があります。

胃内容物に、親がエサと間違えて与えた
プラスチック海洋ゴミがある(2009年9月)
国際条約
2022年ケニア・ナイロビでの第5回国連環境総会で、初めて「プラスチック汚染を終わらせる法的拘束力のある国際約束に向けて」決議が合意しました。
その後5回、政府間交渉委員会が持たれ、2024年11月末に1週間、韓国釜山で最後の会議が開催されました。しかしながら、対策を求める声は切実な一方、生産量の規制を受ける産油国との意見の隔たりは大きく、合意にいたりませんでした。
日本人の問題意識
環境保護団体グリーンピースの2024年4月発表の「プラゴミ汚染に関する国際調査」で、日本は多くの設問で最下位となりました。日本や米国、中国、ドイツなど19カ国の約1万9千人対象。
設問「汚染防止のためプラスチックの生産量削減が必要」に対し、19カ国全体は82%に対し、日本は68%で最下位でした。その他「使い捨てプラ容器を禁止すべきだ」の設問でも最下位で、グリーンピース・ジャパンは「プラゴミ汚染に対する日本人の問題意識の低さが浮き彫りになった」としています。
掃除とはがきと「旅館甲子園」
長野県 春蘭の宿さかえや
「温泉に入るお猿」で知られる信州渋温泉、ここにある旅館「さかえや」は、掃除とはがきの実践をおこなっており、過去「旅館甲子園」で2回優勝しています。
(取材 編集室)
お掃除とハガキに救われた
さかえや 堀内 勇人

私は板前になりたくて、2012年高校を卒業し、さかえやに入社しました。小さいときから勉強が苦手で、高校生の時のあだ名は「バカ男」でした。そんな私でしたので、入社してからも仕事ができず、先輩から毎日叱られていました。
そして入社8か月ころ、料理長から「出ていけ」と怒られ、実家に帰りました。私は社会で通用しない人間なのだと落ち込んでいましたら、その夜湯本晴彦社長から、「もう一度頑張る気があるなら戻ってきな」と電話がありました。
こんな私を見捨てず、もう一度チャンスをくれた社長のためにも何かを頑張ろうと、社長が勧めてくれた「はがき」を、毎日書きました。
入社間もなく、コンサルタントだった静岡掃除に学ぶ会の杉井保之さんが、トイレ掃除を教えてくださいました。2年後の2014年9月、社長から「鍵山塾」に誘われ、新宿街頭清掃を体験しました。
当時20歳で、先輩方から「たくさん拾ったね」「若いのに頑張っているね」などと声をかけられ、「こんな私でも褒められた」と、今まで味わったことのない喜びを感じました。
翌月、「小布施掃除に学ぶ会」でトイレ掃除をしました。小布施も温かい方ばかりで、素手の掃除に抵抗はありましたが、きれいになる喜びと皆さんの温かさにより、もっとお掃除がしたいと思うようになりました。
社長に「さかえやでもみんなでお掃除がしたいです」とお願いし、翌11月湯田中駅のトイレ掃除を社員みなですることになりました。それ以来、お掃除はさかえやの社員教育の一つとなっています。
お掃除を続けてきたお陰で、お掃除のマネージャーという、入社時には想像もできなかったお役をいただきました。はがきも1万枚くらい書きました。今も仕事で迷惑をかけることがありますが、誰にでもできる「掃除」や「はがき」を一生懸命取り組み、続けてきたことが唯一の誇りです。
大げさではなく、私は「お掃除」と「はがき」に救われました。鍵山さんや、杉井さん、社長には心から感謝しています。そして、入社間もないころ、未熟な私と真剣に向き合い叱ってくれた料理長がいたからこそ、自分の至らなさと向き合い努力できたと思っています。
まだまだ未熟な私ですので、鍵山さんの「凡事徹底」という言葉のように、これからも掃除やはがきを誰にもできないくらい徹底してやっていきたいです。私は「さかえや」に入社し、自分の活かし方を学び、誰もが輝けることを学ばせていただきました。
周りの方が私を救ってくれたように、家族や同僚はもちろん、周囲の方々の笑顔と優しさが増えるよう、生きていきたいと思います。
さかえやの活動
フリースクール
2012年ころ、引きこもりや非行少年、養護学校の生徒などを受け入れ始め、2015年、正式にフリースクールを開校しました。
働きながら、日程を調整して授業を受け、高校卒業に必要な単位が取れるというものです。
湯本社長は「われわれの原点。彼らがいなければ今はなかった。絶対にやめてはいけないと思っている」と言います。
掃除に学ぶ会
湯田中駅などのトイレ掃除や小布施掃除に学ぶ会などに参加しています。

ハガキ
さかえやで「はがき人の集い」を毎年やっていました。コロナで中断。
研修
おもてなし研修やマネジメント研修などを、年に1~2回、外部にもオープンで開いています。
歳末募金活動
社員が、児童養護施設や被災地支援のため、旅館の前で地元の人や前を通る宿泊客に募ります。

【旅館甲子園】
これを一般の人にも知ってもらい、業界のイメージアップ、働き手不足解消につなげたいと思います。
全国1350旅館の中から87旅館を推薦し、1次審査で18軒に、2次審査を通過した5施設が競いました。その結果、長野県渋温泉「春蘭の宿 さかえや」が第2回(2015年)に続き、2回連続のグランプリに輝きました!
(2017年第3回主催者挨拶など編集)
「春蘭の宿 さかえや」
第3回旅館甲子園のプレゼン
「〝おもてなし〟とは、お客様のことを思って喜んでもらう提案をすること」 (2年目フロント女性)
「主人の誕生日記念に泊まりたい」と電話がありました。私は、リニューアルしたお部屋を勧めてみました。すると「ずいぶん料金が上がるのね」と言われましたが、そこに決めてくださいました。
私はお勧めした以上、お部屋の飾りつけやお掃除を一生懸命やりました。ご夫妻がお帰りになった後、奥様からお手紙をいただきました。
「主人と一緒にあと何回誕生日を祝えるかわかりませんが、○○さんのお陰で幸せな誕生日になりました…」と。私は嬉しくて涙が出ました。おもてなしとは、お客様のことを思って喜んでもらう提案をすることであり、だからこそお客様のために一生懸命になれるということを学びました。
「会社の売り上げは誰でもつくれる」
(接客係女性)
地元の農家さんと、お土産の〝しぶざるバームクーヘン〟などをつくりましたが、館内では月に30個くらいしか売れませんでした。そこで地域のお店に、販売のお願いに回りました。断られることが多く、お店に入るのが怖かったです。でも、私たちが長野電鉄湯田中駅のトイレ掃除をするのを見ていた人がいて、「うちで売ってあげるよ」と言ってもらえました。とても嬉しかったです。今ではコンビニや道の駅などで、月に千個売れています。
私は、売り上げは営業の人がやるものと思っていましたが、私たち裏方でもできるとわかりました!
湯本晴彦社長
第2回に優勝しましたが、とても優勝に値する旅館ではないと感じていましたし、苦しい経営も変わりませんでした。第3回に再び挑戦しようと、皆で決算書の読み方など、経営の勉強をしました。
私は、大事なことに気がつきました。問題があると思っていた社員が、実はとても会社を支えていてくれているのだとわかったのです。
社員はみな、人に言われてではなく、主体性とやりがいをもって成長しており、嬉しく思います。
もう一つ嬉しいことがあります。私の弟は障がいがあり、15年以上引きこもり、何度も警察のご厄介になっていました。しかしさかえやのスタッフの温かいお世話により、今はさかえやで働いています。こんな日が来るとは夢にも思いませんでした。実はその弟がこの会場に来ています。(拍手) 旅館甲子園で、弟もさかえやも変われました。
本当にありがとうございました。
