〝鐵〟商売と掃除、米寿の人生
植木鋼材(株)
会長 植木 政行

栃木県宇都宮市の植木政行さん(89、以後政行さん)は、20年間栃木掃除に学ぶ会の代表世話人をつとめ、昨年めでたく米寿を迎えました。政行さんの経営と掃除の足跡をたどります。
(取材 編集室)
就職先で学んだトイレ掃除
植木政行さんは1936年生まれ。宇都宮商業高校を卒業後、「10年勤め、100万円貯めたら独立する」と決めて、東京日本橋の鉄鋼問屋に就職しました。
経営者に、営業に出たら必ずそこのトイレを使わせてもらうよう命じられました。「トイレがきれいな会社はお金の始末がよい」という理由でした。なるほどと、政行さんは勤務先のトイレ掃除に熱を入れるようになりました。
宇都宮で独立
8年勤めお金もたまってきた1962年、26歳で宇都宮に帰郷し、母の実家の一角を材料置場に一般鋼材や特殊鋼販売の「植木鋼材店」を創業。翌年奥様悦子さんと結婚、その翌年の1964年長女揚子さんが生まれます。
商売は、地場密着の小売りで、東京で仕入れた鋼材を注文に応じてオート三輪で配達するスタイルでした。そのうち土地を買い、事務所や倉庫を建て、顧客ニーズに合わせて加工の幅も広げ、「鐵のデパート」と呼ばれる今の業態になっていきました。
「積小為大」の植木鋼材
政行さんの座右の銘は、二宮尊徳が説いた「積小為大」です。「大事を成し遂げようとすれば、小事をおろそかにせず、目の前のことをコツコツおこなうこと」 「1社20万円の取引先1000社」をめざしてやってきました。
少量多種「一枚 一個 一本から」の小口商売、そして「今すぐ」「即日配送」のスピードです。トラック7台と専属ドライバーを擁し、10時までの注文は15時まで、15時までの注文は翌日午前中配送というサービスが売りです。
加工は、多様な切断や折曲ができる、バンドソー、シャーリング、プレス、ファイバーレーザー加工機など多くの設備を有し、大物から小物まで対応します。
大怪我がきっかけで「掃除」の道に
さて、政行さんが掃除の道に入った経緯についてです。1968年、32歳のとき倉庫で棚の解体作業中にその下敷きになり、恥骨骨折の命に関わる大怪我をしました。奇跡的に一命はとりとめ、1年後に復帰したときに「救われた命を社会のために役立てたい」と考えました。そして、JR宇都宮駅前のロータリーの掃除を始めました。
1977年ころ、長女の揚子さんが中学校に自転車通学するときに、制服のすそが草の露でびしょ濡れになっていました。政行さんは、日曜の早朝明るくなると、自宅から学校までの約3・5㎞の道路の草刈りをしました。そして草むらに落ちている空缶を拾い、市内で空缶を見つけると休日に拾い、これらを売って貯金しました。
このような政行さんを見た人たちが、宇都宮市に推薦し、1982年市長から「清掃功労者」感謝状を受けました。空缶の数約2万個、重さ約1トンになり、「空缶貯金」2万1481円を寄付しました。
政行さんは、こうした活動を一人で10年くらい続けていましたが、転機が訪れます。
「栃木掃除に学ぶ会」の発足
1997年、茨城県の友人から「掃除に学ぶ会」ができたので来ないかと誘いがありました。ここで初めてトイレ掃除を経験し、まだバリバリの現役だった鍵山秀三郎さんの率先垂範の姿を見て感動し、イエローハットの掃除研修にも参加し、掃除の道に入りました。ここで、2人の宇都宮の若者に出会いました。鈴木健夫さん(ヘイコーパック)と阿部真一さん(晃南印刷)です。
3人で「栃木掃除に学ぶ会」を発足。3か月後第1回「栃木掃除に学ぶ会」を、政行さんの娘さんがお世話になった市立横川中学校で開催します。
生徒や先生など学校側が120人、近県の掃除に学ぶ会からも大勢が参加し、総勢250人がトイレ掃除をしました。生徒ははじめは嫌がっていましたが、政行さんたちの姿を見て真剣に取り組み、横川中のトイレは2時間でピカピカに磨き上げられました。その後、栃木掃除に学ぶ会は宇都宮市内はもとより、佐野市、小山市など、県内全域の学校でトイレ掃除をおこなっています。

広がる栃木の掃除活動
活動は、学校以外にも広がります。政行さん一人で続けていた宇都宮駅前ロータリーの清掃は、発足1997年の10月から、同会の「TOCHIGIさわやかお掃除クラブ」として毎月活動しています。
2000年からは、オリンピック年ごとに「日光二社一寺世界遺産大会」を開催してきて、2023年から毎年開催となりました。2011年から「国道50立体交差」、2013年から「JR鶴田駅前」など、地域で活動が始まりました。
政行さんは、会発足の1997年から代表世話人を務めてきましたが、20年経過した2016年、原田孝之さん(小澤製粉販売(株))に、若返り交替しました。
掃除道具の管理や運搬などは、植木鋼材さんとヘイコーパックさんが分担しており、発起した3人の企業さんがよく連携しています。会には若い人の参加が多く、活発な活動が展開されています。
創業60周年と社会貢献活動
植木鋼材は、2022年創業60周年を迎えました。コロナ禍の最中だったため、記念式典はおこなわず、お世話になった地域への恩返しにと、車いすを寄贈します。
その数210台。栃木県に50台、宇都宮市に50台、病院などに110台。大量の寄贈に対して、県知事、市長から感謝状が直接渡されました。また「60周年記念誌」の発行、政行さん自らの銅像を会社入口に建立しました。
掃除活動だけでも大きな社会貢献ですが、このような福祉支援、さらに2012年からは年一回のお客様や地域への感謝を込めて「感謝祭」を開催しています。
植木鋼材の今後
政行さんの奥様悦子さんは、専務として政行さんをしっかり支え続け、また2012年には、長女の揚子さんが社長に就任しました。
揚子さんは、学校の先生になりたかったそうですが、主としてBtoBの〝鉄〟の商売に対し、新しい視点でBtoCのビジネスを進めています。
地元には、釘を使わない木工技術の結晶「鹿沼組子」があります。この伝統模様を、ファイバーレーザー三次元加工機を使ってデザイン性と機能性を備えた「鉄のオブジェ」をつくるのです。たとえば、屏風(写真)や灯ろう、アクセサリー、コースターなどです。
これは自社ブランド「maasa」(マーサ)として、2023年には東京ビッグサイト、2024年パリの展示会に出品し、好評を博しました。同社の玄関を入ると、ショールームに多くの美しい製品が展示されています。
揚子社長も、栃木掃除に学ぶ会および社内の掃除活動に熱心で、政行さんの足跡をたどり、立派な経営者をめざしています。

揚子さんから政行さんへ
父の奉仕の精神は徹底しており、89歳の今も「あと10歳若ければここを掃除したい」と落ち葉で汚れた街並みを見ています。
「誰かのために」と喜んで働くことが好きな父。寒い中での掃除を楽しむことができるようにと移動湯沸かし器を作るアイディアマン。そのような愛ある父が、いつまでも人生を楽しんで過ごせるようにとの一念でいます。
父に代わり、私たちが住む街を綺麗に整えていきたい。
掃除は、心を整え心を磨くことで、働く環境を整えます。それが経営の基本だと、父の姿から学ばせていただいています。
いつまでも元気でいてくださいね。
(321-0111栃木県宇都宮市川田町804)