なぜ教師になろうと思ったの
宮城県 市岡 良庸

小学校で教育実習をしていたとき、教務主任に「なぜ教師になろうと思ったの?」と聞かれ、「子供が好きだからです!」…。
教務主任は、私の顔をまじまじと見つめました。当時私は「他になりたいものもないし、教師にでもなるか」と考えていたことが、顔に出ていたのでしょう。
教師になっても、子供は「面倒で厄介な存在だ」と感じていました。子供が面倒で厄介なのは、大きく羽ばたこうとしているからで、それを理解したのは、後のことでした。大きな荷物をしょって、細い足で厳しい山道を一歩一歩登り続ける子供たちを受け持ちました。子供一人一人のなかに、とても素敵な宝物があると分かったのも、教師をやっていくと決心してから、かなり時間が経ってからのことでした。
私の見える世界も少しずつ変わってきました。ゆっくりゆっくり成長してきた私が校長となり、教職員を導く立場になりました。校長だからといって、人間的に優れているわけではありません。少しでも油断すれば、傲慢さや不遜さが頭をもたげてきます。
「掃除は、人間が生活で書く答案だ。自分がどのくらいの代物であるかを示す人間の答案が掃除だ」と、東井義雄先生はおっしゃいました。
私の答案は、赤点だらけです。妻から「あなたはニセモノよ。私にはわかるの!」と厳しく諫められています。そんな薄っぺらい私に、神様が引き合わせてくださったのが、多賀城掃除に学ぶ会代表世話人の小畑貞雄さんです。
一人で長年、黙々とトイレ掃除に取り組む小畑さんに出会って、景色がまた少しずつ変わり始めました。そんな私も、2025年3月、役職定年を迎えます。
ステキな掃除の仲間から、多くを学ばせていただきながら、自分の立ち位置を確認しています。